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2022年12月23日01:37

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電力、鉄道vs国家1(電力篇)

1 佐高信『電力と国家』(集英社新書、2011年10月)と
2 森功『国商 最後のフィクサー葛西敬之』(講談社、2022年12月)
――を続けて読んだ。

1は東日本大震災の直後に『原発文化人50人斬り』を書いた後、続けて「電力と国家の関係はいかにあるべきか」を考えていく切り口として、松永安左エ門(1875〜1972年)をはじめとする日本電力史上の重要人物の足跡を振り返る。福沢諭吉の直弟子だった松永はこれから発展しようという頃の電力業界に身を投じ、後に「電力の鬼」とも称されるようになったが、軍と手を結ぶ革新官僚らが進めた戦前戦中の国家総動員体制の中で、「官吏は人間のクズである」と言い放って電力国有化に最後まで抵抗した。戦後は電力を民間に取り戻すために、占領下の日本で最高権力者だったGHQに近づき説得するという裏技、離れ業をやってのけるなど、数々の業績とエピソードがある。

木川田一隆(きがわだ・かずたか、1899〜1977年)も1950年代から1960年代にかけて東京電力社長などとして活躍。原発に反対し、「企業の社会的責任」を唱導した。

2人とも国からの叙勲は受けなかったのに対し、やはり東京電力社長や経団連会長を務めた平岩外四(ひらいわ・がいし、1914〜2007年)は勲章を受けた(木川田が死守した原子力開発の主導権を、平岩が通産省に譲り渡した)。佐高氏が松永安左エ門や木川田隆一と比べて平岩を批判した文章を書くと、こっそり著者を呼んで言い訳したという。

佐高氏によると、「松永は『役人に電力会社を経営できるわけがない』と喝破した(中略)経営というものはダイナミックなもので、動態的な思考方法ができない役人には所詮無理なのである。そういう奴らを電力事業に取り込んだことが平岩の失敗であった」。

薄い新書だが、扱うのは表題通り大きな問題。そして、この本における国家批判には、「国家=公(おおやけ)ではない」、むしろ「公は国家より大きい」という世界観があることが、本の冒頭の一文に示されている。

「『領海の外に公海がある』と歴史学者の網野善彦は喝破した。つまり、国家の支配する領土や領海の外に公(パブリック)が存在する」
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