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2022年05月05日11:11

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白川静の限界

まだ僕は表題の内容を書けるほど白川静を読んでいないが、やはりその学説の位置づけが気になるので、落合淳史『漢字の成り立ち 「説文解字」から最先端の研究まで』(2014年初版)の第一章と白川静批判の箇所を読んでみた。
 著者の落合氏は1974年生まれで、中国の古代文字と古代史の専門家。1910年生まれの白川や1915年生まれの藤堂明保とは大きな年齢差がある。白川と同じ立命館に学び、勤めるが、師弟関係にはなく、漢字学の先学らを客観的に見ている。

白川批判のポイントは、以下のような点である。
<特に大きな問題は、呪術儀礼を重視しすぎたことである。白川は字形からの字源分析を確立した人物といっても過言ではないが、その白川自身が、字形からの分析よりも呪術儀礼としての解釈を重視して字源研究を行ってしまったのである。
 そのほかにも、白川が字源研究をほぼほぼ完了した1980年代以降、中国を中心にして甲骨文字や金文などの資料整理が進められており、それを検証することでも、白川による字形の解釈や時代関係の分析に不備があったことが判明する。>
 白川が呪術起源の例として挙げている漢字について、落合氏は同時代の金文などで確認できないものが少なくないという。また白川は中国古代社会にも日本と同じく「ケガレ」の概念があったと想定しているが、それは確認できないとしている。

――実はこうした指摘は、僕の素人なりの直感と一致する、ないしかなり近い。
 今後は、「どこまで本当なのか」という一抹の懸念を抱きながら、白川静を読むことになる。

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