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2020年12月23日01:51

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鎌倉幕府をめぐる二つの常識

井上章一と本郷和人の対談『日本史のミカタ』を読んだ。井上氏は、相手の本郷氏にも想定外なのに説得力はある新説を繰り出して、読者にもなるほどと思わせ、楽しませてくれる。これは京都にある国際日本文化研究センター所長の井上氏が、関西出身、修士課程までの理系(工学部建築科)から文系に転じたこと、出身は京都とはいえ洛外であることなど、ひねくれた見方をしやすい境遇もあろうが、天与の資質でもあろう。
 一方の本郷氏は、東京大学史料編纂所教授で、井上氏が対抗心を燃やす「関東史観・東国国家論」の代表的存在。「東国国家論」は、鎌倉幕府の誕生で日本が天皇・公家中心から武家中心の国に変わったという、今も教科書で教わる日本中世史の常識(その一)である。ところが、本郷氏は、専門の中世史学者の約8割が東国国家論ではなく、「権門体制論」(常識その二)を支持していると言う。
 ここで「権門体制」について日本大百科全書(ニッポニカ)の説明を引くと――
「日本中世の国家体制をさす歴史学上の概念。黒田俊雄『中世の国家と天皇』(『岩波講座 日本歴史 中世2』所収・1963)で初めて提唱された。この説では、日本中世の国家機構は、それまでの通説のように幕府の組織をもって説明すべきでなく、複数の権門的勢力の競合対立と相互補完のうえに、天皇と朝廷を中心に構成されていたとみる。この複数の権門とは、王家(天皇家)・摂関家その他の公家、南都北嶺をはじめとする大寺社、幕府=武家など(以下略)」(担当執筆者は黒田俊雄。同氏は1926年生まれ)
 中世史研究者の多くは、「鎌倉幕府は関東の地方政権にすぎなかった」とみているらしい。にもかかわらず、教科書を書き換えないままの「研究者の肝の据わらなさ」を本郷氏は批判する。

――このあたりについて網野善彦(1928年生まれ)はどう言っていたか気になって、『歴史としての戦後史学』所収の「戦後歴史学の五十年」を見てみると、権門体制論をめぐる議論が盛んだった頃、自分は落ちこぼれ状態で最先端の議論に付いていけなかったと振り返っている。網野氏が『無縁・公界・楽』などで華々しく活躍し始めたのは、この議論が落ち着いてからのようである。
 この自らの体験を踏まえた「戦後歴史学の五十年」は、戦後の歴史学界・歴史論壇には詳しいが、歴史教科書についてはそうではない。ただ井上氏は、東国国家論・関東史観は「明治維新以後のイデオロギー」だろうとしている。
 ちなみに、戦前・戦中はといえば、東大の国史(現・日本史)学科の中世担当教授は、「皇国史観」の第一人者である平泉澄だった。平泉は、昭和20年8月の昭和天皇による終戦の詔勅(玉音放送)の2日後に辞職している。東大の国史(日本史)に即していえば、武家政権の革新性を重く見る「東国国家論・関東史観」は、敗戦で平泉とともに滅んだかに見えた日本史学の再生を導く松明だったのかもしれない。

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