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2020年12月18日22:53

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中世寺社勢力2:日本の中世に何を見るか?

何冊か関連書を読んだだけのずぶの素人が、「日本の中世に何を見るか?」なんで大それた問いに答えられる訳がない。にもかかわらず、この問いが浮かんだ。

黒田俊雄『寺社勢力―もう一つの中世社会―』を読んだ。伊藤正敏『寺社勢力の中世――無縁・有縁・移民』に続けてである。著者の生年で見ると、黒田氏が1926年、伊藤氏は1955年で、直接の師弟関係はないが、伊藤氏は、中世における朝廷公家・武家・寺社の関係を論じた「権門体制論」の大家だった黒田氏の業績に多くを負っていることだろう。引用・参照・言及されるのは古文書ばかりだが、2人の間には権門体制論をより堅固なものとしていった数多くの中世史家がいるのだろう、と推測する。

「寺社勢力(じしゃせいりょく)」という見出しは、複数の国語辞典を収録した手元の電子辞書にないから、ウィキペディアの説明を簡略化すると、「寺社勢力とは、日本中世において、武家政権・朝廷とともに権力を三分した、大寺院・神社による軍事・行政・経済・文化パワーである。武家政権や朝廷のように権力中枢があったわけではなく、各寺社が独立して行動し、また一寺社内でもさまざまな集団がせめぎ合っていたため、『勢力』と呼ぶ」。

黒田氏の『寺社勢力…』は、こうした定義の土台となる「寺社勢力とは何であり、どんなあり方をしていたか、どんな事件が起き、どう変わっていったのか」という基本的事項を教えてくれる。

一方、伊藤氏の『寺社勢力の中世』はこうした歴史叙述をベースに、中世寺社が持った「アジール性」に最大限注目する。実際、中世の大寺院などは、江戸時代の縁切寺などよりはるかに巨大で強力なアジールでもあった。では、そもそもアジールとは何か? ここでもウィキペディアによると、「アジールあるいはアサイラム(独: Asyl、仏: asile、英: asylum)は、歴史的・社会的な概念で、『聖域』『自由領域』『避難所』『無縁所』などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味する。ギリシア語の『ἄσυλον(侵すことのできない、神聖な場所の意)』を語源とする。具体的には、おおむね『統治権力が及ばない地域』ということになる。現代の法制度の中で近いものを探せば在外公館の内部など『治外法権(が認められた場所)』のようなものである」。なお、ウィキペディアのこの項の主要部分は、伊藤氏の上記『寺社勢力の中世』に拠っている。

その伊藤氏がこの本で何度も引用、参照、援用していたのが、網野善彦の主著『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』だった。伊藤氏は自らの歴史研究と網野善彦の提言したアジール論をさらに膨らませて、人間とその自由について考察を深めた(今年出た同氏の『アジールと国家』は未読)。

歴史とは、まずもって過去に実際に起きたことであり、無数に起きた事象の中で優先順位を付けるなら、国家の政治から、となるのは大方が認めるところだろう。とすれば、朝廷・公家や幕府だけでなく、時によってそれら以上に勢威を誇った寺社勢力の重要性に取り組んだ黒田氏の学者としての生き方は理解しやすい。

もう一方の網野善彦氏は、中世の歴史に何を見ようとしたのか? 網野氏は、領主による私的支配=領主への隷従から逃れ、漂白の民となった人々に関心を寄せ、その「無縁」に「自由」を見ようとした(『無縁・公界・楽』はまた後ほど読むが)。

さて現在の日本に目を向けると、日本学術会議の任命拒否は、総理大臣の権力行使によって国民から成る学術会議という集団の自主=自由が侵害された事例といえようか。つまり、学術会議にも学者たちにも、総理大臣の権力から逃れるアジールはない。

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