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2020年03月08日21:43

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戦後日本における「霧」

今日の東京新聞での歌人・島田修三の連載「昭和遠近 短歌にみる時代相」9での指摘・主張にハッとした。

寺山修司の短歌でも最も愛唱された一首

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(1958年の第一歌集『空には本』収載)

における「霧」は、「敗戦によって『五里霧中』に陥った戦後日本を象徴する気象だった」と言う。「敗戦後の日本が霧の中にあった」というこの主張は、寺山の歌にあるように、敗戦によって日本人が祖国への信頼や自らへの自信を失ったことを踏まえれば納得できるが、今まで考えたことがなかった。

この一文は、この歌が、小説では椎名麟三「深夜の酒宴」、埴谷雄高「死霊」、近藤芳美の歌集『埃吹く街』、クロード・チアリひくギター主題歌も含めてギリシャ映画「夜霧のしのび逢い」、石原裕次郎主演「俺は待ってるぜ」の冒頭シーンの表す「霧の昭和戦後史を効果的に踏まえた歌」だったと言う。

そう言われれば、そうかもしれない。
この文に挙げられていないものでも、(寺山の歌より後だろうが)僕には大島渚の映画「日本の夜と霧」や石原裕次郎主演「夜霧よ今夜もありがとう」、さらにプロ野球界の「黒い霧事件」がすぐに浮かんだ。まだ霧のイメージが続いていたのかもしれない。
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