昨日の朝日の文化・文芸欄の往復書簡の「過去は未来によって変わる」と題された文の末尾で、渡辺京二が次のように書いている。
「明治150年と言うけれど、維新が何であったかは、その後の日本の歩みが決めたのです。日本の歩みはまだ続いていますから、今後の歩みによっては、維新の意味づけもまた変わってくるかもしれません。過去の像を決めるのは未来なのです。」
これだけでは唐突だが、歴史上の事件や人物に対する見方や評価が時代によって変わることを示す一例として、今日の朝日文化欄「異説あり」シリーズの「松陰 過激な革命家」と題された記事がある。
この記事によると、現代風に言えば、松陰は限りなくテロリストに近い革命家だったという見方が学会では主流。例えば、萩博物館の一坂太郎学芸員が指摘している。
松陰の生前、その尊王攘夷思想は長州では異端で、松陰は孤独だった。
尊王攘夷は元来は倒幕とは無縁だったが、「1862年以降に長州が倒幕色を強めていく中で、正当化するため、久坂玄端が刑死した松陰を象徴として祭り上げた」。
「教育者」という面が強調されるようになったのは、大正末から昭和の始め。
その後、「尊王愛国」の象徴として戦争遂行に利用された。
松陰は「使い勝手のいい虚像」でもあった。
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