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2015年03月12日21:27

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ニューヨークメモリーズ:My version

3月10日、東京大空襲の記念日が、個人的にはニューヨークへ渡った日だったことを思い出して、つぶやいたのがきっかけで想起し、書いたシーンを以下に再録します。

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東京大空襲の記念日でもある28年前の今日3月10日、ニューヨークへ渡ったことを思い出した。
2015年3月10日 22:31

しみず君 2015年3月10日 23:10
「人生の四年間」の始まりだったのですネ。ニューヨークまでの機中でどんなことを思ってたのですか?或いはどんな景色が印象に残っているのですか?

GandhiGanjee 2015年3月10日 23:59
一言ではいえないものがありますが、新たな環境・世界に身を置くのだ、そこに自分自身浸るのだという気持ちでしょうか。新しい経験をするのであり、その自分を見てみようという、自分が実験台であり、かつそれを観察する側でもあるということ…。そんなことは後から考えた理屈でしょうが。

しみず君 2015年3月11日 19:46
> GandhiGanjeeさん ありがとうございます。何の意識もないただ記憶に残る情景てあるんですか?以前、「地中海の砂浜は意外に石ころが多かった」というのが印象に残ってます。たとえば、機中からの本物のヒマラヤやらアルプスやら高度5000メートルから見る月やらカスピ海やら飛行機の窓枠ガラスの反射や

しみず君 2015年3月11日 20:01
ら、全くの無意識なのに脳に記憶される情景・・・

GandhiGanjee 2015年3月12日 04:47
記憶に残る情景はたくさんあります。勤め先がマンハッタン中心部の五番街に面した雑居ビル(五番街で一番小さくてぼろいベスト5に入りそうな)。有名なロックフェラーセンターはすぐそば。エンパイアステートビルも10ブロックほど。遠くに911で崩壊して今は亡きワールドトレードセンター…。南北は直線の道路が通り、

GandhiGanjee 2015年3月12日 04:59
東西はマンハッタンの幅が4kmしかなく、西を見るとその先は何もない。ハドソン川に隔てられた向こうは広大なアメリカ大陸が広がっているんだな…と、いつも思っていました。街には黒人のホームレス達が物乞い。スーツ姿の白人ビジネスマン達は8割がグレー、2割が紺のスーツで、ホワイトカラーの仕事着は日本より画一的

GandhiGanjee 2015年3月12日 05:14
冬の夜、リンカーンセンターでオペラを見た後、毛皮のコートを着た金髪の白人女性たちがタクシーを拾う姿。マンハッタンの夜景は世界一有名かもしれないが、穴場は25階建ビルの最上階ラウンジ。東側はイーストリバーを見下ろすが、西側は通りを隔てたビル群しか見えない。25階という中途半端さのため、見下ろせない。

GandhiGanjee 2015年3月12日 05:22
その中途半端さが、まさに「ビル群のど真ん中の空中に浮かんでいる感じ」。高層ビルから俯瞰する夜景は、世界中の都市で見られるだろうが、「40、50階建ての高層ビル群の中層あたりに浮かんでいる感じ」はあまりないのでは。日本では西新宿の副都心でやや近い感があるだろうが、このラウンジの場合は無名のごく普通のビル群の中に漂う感じ。

GandhiGanjee 2015年3月12日 05:29
一方、アパートのあったクイーンズのフラッシングはアジア系が多く、見た感じでいうと、白人、黒人、ヒスパニック、インド・パキスタン系、中国系、韓国人が6分の1ずつ(その他、日本人なども若干)という割合で、もはやニューヨークを超え「スーパーニューヨーク」というか、国際都市ないし無国籍都市の観を呈していた。

GandhiGanjee 2015年3月12日 05:38
フラッシングはNYメッツの本拠地シェイスタジアムと全米オープン会場になるテニスコートの最寄り駅の隣で終点。国内線用のラガーディア空港が近いため、すぐ上空を飛行機が通るし、そのとき轟音がする。でも、ここから見る夕陽が今まで世界中で見た夕陽の中で最も美しい、という人もいた。

GandhiGanjee 2015年3月12日 05:43
フラッシングは地下鉄の終点で東には走ってないが、ロングアイランド鉄道という私鉄の無人駅があり、ニュージャージーからペンステーション経由で直帰するときに利用した。その東はもうニューヨーク市ではなく、ナッソーカウンティでビリー・ジョエルの出身地。夏にそのポートワシントンという駅で降りると、ヨットやクルーザーが停泊し、カブトガニがたくさんいた。

GandhiGanjee 2015年3月12日 05:59
料金が全線均一の地下鉄でブルックリンの南のコニーアイランドに行くと、1950〜60年代頃がピークだったと思われる寂びれた遊園地がある。ロシアからの移民が多いというブライトンビーチには、ボードウォークという木の遊歩道があって歩いた。緯度が青森と同じというNYの大西洋の海は真夏でも冷たかった。

GandhiGanjee 2015年3月12日 06:07
浜辺には多くはないが黒人の姿もあった…。冬には年に2、3度か寒波が襲来。そんな時は気温が優に零下15度位まで下がるので、防寒具に身を固め、(強盗みたいな目出し帽など)帽子を被らないと外出できない。極寒の中にいると、頭の芯がカキ氷を食べてツ〜ンとなった感覚を弱めたような感覚から戻るのに数時間は掛かる。

GandhiGanjee 2015年3月12日 06:11
外はマイナス15度でも、部屋の中はTシャツだった、最初の冬は。気温差40度! セントラルヒーティングが調節できることを知らず、暖房が全開になっていたことがわかり、暑すぎるので、2〜3年後に気づいて調節した。

GandhiGanjee 2015年3月12日 06:26
25階のラウンジから見えるのは東西が逆でした。東側がイーストリバー、西がビル群でした。

しみず君 2015年3月12日 20:11
ほとばしるような想い出の情景・・ありがとうございます。 「西を見るとその先は何もない。ハドソン川向こうは広大なアメリカ大陸が広がって・・」 「スーツ姿の白人ビジネスマン達は8割がグレー、2割が紺のスーツ」・・グレーの背広・・ 「毛皮のコートを着た金髪の白人女性たちがタクシーを拾う姿」・・

しみず君 2015年3月12日 20:14
数奇です・・ガンジーさんは数奇な体験・感覚を数多く経験されている・・・

GandhiGanjee 2015年3月12日 20:48
> しみず君さん  今となっては確かめようがないのが、夜アパートにいると外から時々聞こえてきた「パーン」という乾いた音。同じアパートの住人は「ピストルの音では?」と言っていたが、確かめようもなく、また確かめるために音の聞こえるほうに近づくのも怖いから、夜は一度も外に出て行かなかった。

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