mixiユーザー(id:7131895)

2015年03月01日23:24

333 view

岡本太郎は偉かった

のだということに、今さら気づいた。電車の中で『美の呪力』(新潮文庫)を読み始めてから。

昔はテレビに出てくる、独特なキャラの変なおじさんであり、また、高度経済成長のピークを象徴する国家的イベント、1970年の大阪万博で「太陽の塔」制作などを任されるくらいだから、当時の日本を代表する芸術家ではあったのだろうが、その偉大さの実感は持てないままだった。

また、沖縄を論じた文章で、「何もない空間」と呼んでいるのを読みかじって、いくらか反感を抱いた覚えがある。彼が青年時代の10年間をすごしたパリのような、ノートルダム大聖堂やルーブル、オペラ座、エッフェル塔等々の厳然と存在する偉大な「構築物」が、沖縄も含めて日本の地方には存在しない。そのことを「何もない」と否定的に論じたのかと、飛ばし読みで生半可に読みかじっていたのだ。

実はそうではなかった。
冒頭近くに「『無い』ことのひろがり」という一節がある。そこから、一箇所だけ引いてみる。

<石は、当然、非常に神聖なものである。多くのことを思わせる。ただ、私がこのようにこだわるのは、残ったものよりも消えた世界の方がどの位大きく、無限のひろがりをもって躍動していたかということを、痛切に思うからだ。>

有る物、そして何もないことの背後に、あった物や事、ありえたもの、人や生きものの生と死を、喜怒哀楽や栄光や悲惨…を感じ、想像せずにいられない、存在感覚・宇宙感覚の持ち主だった、岡本太郎は。

また、20世紀前半のパリは、今よりはるかに「世界の中心」に近い一方で、岡本太郎は民族学・人類学の碩学マルセル・モースの下で学び、西欧以外のいわゆる未開社会の知識も豊富だった。

世界の中心である西欧で学びながら、元々極東の日本人であることもあり、西欧中心主義を超える世界観と世界感覚・宇宙感覚を身に付けていたのだ、岡本太郎は。





7 9

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年03月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最近の日記