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2015年02月19日22:48

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「ヴァイオリンの奥義」(ソリアノ編著・桑原威夫訳)読了

フランスの往年の名ヴァイオリニスト・ブーシェリは、現役時代が短く録音も少なかったために日本ではあまり知られていないが、華やかなベルエポック時代のパリ楽壇では若手として活躍し、その後、教育者としてローラ・ボベスコら幾多のヴァイオリニストを輩出した。

本書は、ブーシェリの終の伴侶だったヴァイオリニスト、ドニーズ・ソリアノの弟で作家だったマルク・ソリアノの聞き書きの回想録。著者が最初にことわっているように「自伝」とはいえ、自身のことは数行のみでむしろブーシェリが関わったフォーレ、サン=サーンス、ドビュッシーら大作曲家や、サラサーテ、イザイらの偉大なヴァイオリニスト、あるいは盟友ジャック・ティボーらの生々しいエピソードを交えて、当時のフランス楽壇の華やかな世界を活写している。

若きティボーのベルリン・デビューでは、大吹雪でキャンセルとなった隣の大ホールのヨアヒムの聴衆がティボーの小さな会場に殺到しセンセーショナルな大成功を引き起こしたという。まさに「雪崩現象」というわけか?

そのティボーが、裂帛の気迫で望んだベートーヴェンの協奏曲では、クライスラーのカデンツァに挑んだが、あらぬ方向へと展開しブーシェリはそのまばゆいばかりの変奏と即興に瞠目する。演奏後、楽屋へ押しかけた男がその演奏を称えながら「あのカデンツァ、あれは実に魅力的です、私は初めて聞いたのですが…」とたずねると、ティボーはにっこりと笑いながら「私もですよ」と答えたという。

サンサーンスの引退演奏会で、作曲家自身のピアノで「ロンド・カプリチオーソ」を弾いたブーシェリは、サン=サーンスのその場での即興的な逸脱に責め苛まれる。が、演奏後の楽屋でサン=サーンスは、「いやはや、この若い連中は!向かうところ敵なしだな!」と上機嫌だったという。当時のお大人は、気むずかしく痛烈な皮肉屋で気まぐれでとっつきにくいが、時に好好爺ぶりを発揮して、しかも、その行動は予測不能だったらしい。ブーシェリは、サン=サーンスらにしばしば寝起きを襲われ、その嵐が吹きすさんだ後に茫然と取り残されたというエピソードを語っている。

本著も、質の高い良著の例に違わず、巻末資料や人名索引、ディスコグラフィなどが充実している。なかでも、ジネット・ヌヴーがヴィニャフスキー国際コンクールでセンセーショナルな優勝を勝ち取った時に、当時横行していたホームサイドデシジョンを危惧した母親が必死にブーシェリに審査員として参加するよう訴えた書簡や、ヌヴーのベルリン留学で教育者としての栄誉を横取りされたとブーシェリの肩をもって憤るティボーの私信が興味深い。

ブーシェリは、戦時下のドイツ占領時には、パリ郊外ブロン=マルロットの別荘にクラスを疎開させ、若いユダヤ系音楽家たちを救った。本文では語られていないが、この不幸な時代にワグナーに傾倒するあまりナチの傀儡政権の要職を引き受けていた長年の盟友であるコルトーと仲違いをするが、フランス解放後に逮捕されたコルトーの名誉回復に尽力し、友情を取り戻している。

「奥義」とは題しているが、技巧や演奏様式のようなことには一切触れておらず、フランス・ベルギー派のヴァイオリニストの系譜をたどりつつも、むしろ、自由で闊達だった往年の巨匠たちの時代の剛胆な振る舞いを中心にその精神主義的な時代にあったスケールの大きな音楽の真髄を大胆に語っていて魅了される。









ヴァイオリンの奥義
ジュール・ブーシュリ回想録(1877→1962)

ソリアノ 編著/桑原威夫 訳  音楽之友社
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