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2014年12月12日22:57

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橋川さんが三島由紀夫を語るとき

宮嶋繁明『日本浪漫派の精神』(弦書房、2014年)を読んだ。

この本、思想史家・橋川文三が三十代半ばでデビュー作を書き上げるまでの半生の、初の本格的な伝記を読んで、なぜか「橋川さん」と呼びたくなった。有名人や歴史上の人物を呼び捨てにするのと違って、以前よりも、人物そのものに、より親近感を覚えるようになったのだと思う。

僕自身、橋川さんの存命中、彼が教授として勤務していたのと同じ大学の大学院に籍を置いていたのに、学部が違ったせいもあり、お会いしたことはなかった。別の大学で教授をしていた柄谷行人の授業は毎週出かけて、偽学生として聴講したのに…。「柄谷のほうが、僕の当時のアイドルだった」と言えば、それまでだが。

没後31年を迎える今になって、人が亡くなるということの哀しさを、改めて思う。

この本を読んで、改めて知ったのは、橋川氏が、父を亡くした十八歳の頃から三十代半ばまで、母の死、弟の死、一家離散、自身の肺結核罹患・療養、そして正社員としての職に就けないこと等による生活苦…、まさに病と貧しさとに苛まれ続け、その中で、独学で思想的・学問的研鑽を積んだことによって、物書きとして出発した、ということである。

このことに初めて思い至るとき、彼が書き残した文章の、その思想的・学問的な結晶度と抽象度に対し、いわばその「美しさ」に、改めて目を見張る思いがする。

思うに、彼が文字を書き記すとき、自らが貧苦に喘いでいようと、逆に、自分や対象が酒池肉林に溺れていようと、「そんなことはどうでも良かった」のだ。自らの生活など、豊かでも貧しくても、書く文章にとっては、どうでも良かった。もっと卑近な言い方をすれば、惨めで冴えない生活のことなど、金輪際、書こうという気はしなかった。

だから、自らとは対照的に、二十代前半で華々しく文壇とジャーナリズムにデビューして以来、一貫して時代の寵児であり続けた三島由紀夫を論じるときも、自らの悲惨な青年時代との対照による、羨望も自嘲も卑下も、微塵も感じられない。――そんなことは、思想にとっては、また、美にとっても、どうでもいいことなのだ。そんな橋川さんの感性と資質に、僕は共感を覚える。
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