木佐芳男『<戦争責任>とは何か 清算されなかったドイツの過去』(中公新書、2001)を読んだ。
日本では、森元首相や安倍首相、麻生副首相など、その言動が時として近隣諸国をはじめ国際的に波紋を広げるのに対し、同じ第二次大戦の敗戦国ドイツは、国としても、リーダーたる政治家も、賞賛されることが多かった。この本は、その国際的に主流だった見方に、根本的な批判を突きつけている。
戦後ドイツは、ヒトラーとナチスをスケープゴートにし、戦争中の罪をすべて彼らに押し着せることで、「ナチスではない我々ドイツ人はクリーンである」としてきたとは、ドイツ文学者で右派の論客、西尾幹二氏が以前から言ってきたことだが、僕自身は、大昔は読んだ気がするが、右派論客になってからの西尾氏の本は、読んだことがなかった。
さて、この本の著者は、読売新聞の記者としてドイツに駐在していたが、45歳で早期退職し、自分自身のテーマを追求している。印象に残った個所を引用、紹介する。
・戦後ドイツ人の「クリーン神話」づくりは、西ドイツ初代首相アデナウアーが1952年12月3日の連邦議会で行った、退役軍人たちをまとめあげるための演説に始まる。
・ドイツでもフランスでも、日本におけるような、従軍慰安婦ないし強制売春は問題になっていない。フェミニストを除き、左派と見られている男性歴史学者ですら、日本のことを不思議がっている。
・アデナウアー政権の首相官房の責任者には、かつてユダヤ人を迫害する法律の制定に深くかかわったナチ官僚ハンス・グロプケがおさまった。「1951年に発足した外務省では、公務員の約66%が旧ナチス党員によって占められていた。」(望田幸男『ナチス追及』(講談社、1990))
・この実態を覆い隠すトリック「ドイツ人の非ナチ化」は、東西冷戦の深刻化によって、アメリカをはじめとする西側陣営から大目に見られ、許容されていった。
――夜中に目が覚めて書き始めたが、ここまでにします。
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