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2021年12月05日12:31

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木と人類

ローランド・エノス、水谷淳訳『「木」から辿る人類史 ヒトの進化と繁栄の秘密に迫る』は最近読んだ中で一番すごい本である。少なくともスケールの大きさにおいては。例えば釈徹宗が書いた富永仲基や不干斎ハビアンは、江戸時代や戦国末期の天才的な学者ないし思想家一個人だし、東洋史学者・岡田英弘の「漢字論」は中国と周辺東アジアに限定される問題だ。対してこの「木と人類」をめぐる本は、空間的には地球上の陸地全て、時間的には人類の祖先がアフリカの樹上で他の類人猿から分岐した数百万年前にさかのぼり、現代にまで及ぶ。

ただイギリスのハル大学客員教授の著者ローランド・エノスは、英語圏でもあまり有名ではないらしく、英文WikipediaにもRoland Ennosの名は載っていない。松下圭一郎『くらしのアナキズム』で紹介されるアナキスト人類学者デヴィッド・グレーバーDavid Graeberの扱いが大きいのと対照的だが、これはグレーバーがウォール街占拠デモを呼びかけ、扇動したリーダーとして知られたことが大きいのかもしれない。

1)数百万年前〜1万年前、2)1万年前〜西暦1600年、3)西暦1600年〜現代、4)現在〜今後の問題――と4部構成のこの本では、植物、生体力学、統計学の教科書を書き、自然史学、考古学、工学、建築など広範な分野を研究してきた著者の多岐にわたる知識が総動員されている。例えば、木材の素材としての材料工学的特性は家の建築や道具類の製作とその歴史の理解・説明に欠かせない、等々。

著者はイギリス人だから事例の多くはイギリスをはじめヨーロッパ、次にアメリカ大陸の物が多いが、「木は石や金属よりも人類史において重要な役割を占めてきたのではないか」という本書の基本的な主張・提起は日本人には極めて馴染みやすい。新国立競技場などの設計で有名な隈研吾氏は「僕たち日本人にとって、待望の"木の聖書"である」と激賞している。

エノス氏によれば、19世紀前半の西ヨーロッパに発祥した近代考古学は青銅や鉄などの金属と石を重視しすぎてきたが、それは木材が朽ちやすく残らなかったからにすぎない。その基本的な見落としに学者たちは近年ようやく気づくようになったが、エノス氏の卓見は僕など日本人の素朴な直観と一致する。事例としては、古代ギリシャのパルテノン神殿などの遺跡は、かつては重要な箇所に木材が使われていたが、風雪にさらされて朽ち果ててしまった。また本書でも触れられているが、最近のパリ・ノートルダム聖堂の火災後の映像で、天井部の構造材として木材が使われていることが白日の下にさらされた。壮麗な聖堂や城郭でも木材は重要だったが、権力者たちが権威を強調するため、ありふれた材料である木材を隠してきたから見えなかっただけなのだ。


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