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日記一覧

満州事変から日中戦争へと戦線が拡大すると、1938年には近衛文麿内閣が「東亜新秩序声明」を発表し、日本政府として初めてアジア重視を第一の外交方針とした。これは「明治以来の対米英関係重視の方針から決別する」ことを意味した。1927年以降、二大政党制(

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筒井清忠氏は、昭和10年代の日本を動かした陸軍中堅幕僚として、辻政信に焦点を当てている。辻は1902年に石川県の貧しい農家に生まれたが、成績優秀で陸軍幼年学校から士官学校まで首席。さらにエリートになるために入学した陸軍大学校は3番で卒業。成績は

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筒井清忠氏によると、(昭和初期の)都会で「立身出世」を夢みた青年が挫折したとき、故郷の農村で出会った都会的・合理的なものを超克しようとする行者的リーダーに率いられた土俗的宗教団と運動に出会う――こうした現象は当時の日本社会に遍在化しており、

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5 筒井清忠氏は、「『大正デモクラシー』の時代から『昭和軍国主義』の時代へという変化がなぜ起こったのか」という深刻で重要な問題について、我々はまだ納得のいく回答を得ていない、として次の2つの問題に取り組んでいる。 第一は、大正デモクラシー期

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4 筒井清忠氏によると、大正時代は「大衆の登場が始まった時代」。その大衆の登場が現れたのは、明治末期1905年の日比谷焼き打ち事件だった。その後の1928年の普通選挙実施までの大きな事件・事態の背後には、日比谷焼き打ち事件で登場した大衆とマスメディ

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筒井清忠『天皇・コロナ・ポピュリズム』から印象に残る箇所を引くと――。1 筒井氏によると、近衛文麿・木戸幸一・原田熊雄という、学習院中等科で1907年に知り合った昭和前期の宮中グループの中心メンバーは皆、時代思潮の平等主義に惹かれた。当時多くの

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