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2024年05月12日21:34

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冬の光

スウェーデン映画。
イングマール・ベルイマン監督の作品。

牧師の話だ。

教会のミサには何度か行った事が有る。
しかし、俺にはああいう儀式ばったものは向いていない様に感じた。
少しの期間だが、教会学校というか勉強会にも参加した事が有る。
入院させられる前の事だ。
当時は日本郵便を休職中だったので時間だけは有った。
地元の教会にジョルディという助任神父が居て、勉強会ではお世話になったが俺は当時は病気が芳しく無く、余り参加出来なかった。
有る時、確か南米からだと思うが、交流の有る教会から信者が来て、キリストの像の付いた神輿みたいな物を担いで幼稚園の狭い校庭をゆっくり一周する行事が有った。
神輿は確か二つか三つだった。
その神輿に神父が一名ずつ付き添って歩く訳だが、その内の一つがジョルディ神父だった。
校庭を一周し終えると神輿は幼稚園の建物と向き合って整列するのだが、俺はジョルディ神父の神輿がもう一つ(か二つ)の神輿よりも明らかに蝋燭が短くなっている事に気付いた。
俺は何か有ると思った(ジョルディ神父の命が激しく燃えている為に他の神父よりも早死にすると思った)のを覚えている。
カトリックの信者になる直前迄は行ったが、他の日本人の神父に断られた。
病気の事は話していなかったが、俺の様な人間を以前受け入れて問題が起きた事が理由だそうだが、俺は病気の事は教会には話していない(ひょっとしたら俺が当時アル中状態だった事を指摘したのかも知れない)。
俺の病気が特に重くなったのはその年か翌年の事だった。
その頃は幻覚や妄想が酷かった。
有る日炬燵に座りながら妄想や幻覚の相手をしていた訳だが(当時は抗精神病薬を飲んでいなかった。薬を飲み出したのは入院させられてから数ヶ月後の事だったので)、その時の幻覚に「ジョルディ神父が或る若い有望な信者を庇って死ぬ」というものが有った。
病院を退院した後、教会のHPを見てみたが、その時ジョルディ神父が亡くなった事を知った。
その後、一度だけミサには行った。
結婚相手を見付けるには教会に行って入信した方が、世話を焼いて貰えるかも知れないので良いのだろうが、そういう事情の為に教会に通う気にもなれないし、また断られるかも知れないし、殆どの場合忙しくって忘れているが、時々そういう葛藤を思い出したりはする。

牧師が主の事を「アッラー」と呼んでいる様に聞こえるのは気のせいか?
他に似た様な言葉が有るのだろうか?

「感情的に」神を信じるのは良い事の様に俺には思われる。
少なくとも「理論的」に信仰するよりは良い。
信仰とは「神への情熱」だと思うからだ。

俺も「神は遠くから見ておられる」と思う。
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