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2024年01月03日23:46

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「まっくら」の中で働く

『まっくら 女坑夫からの聞き書き』(岩波文庫)は、森崎和江(1927〜2022年)のデビュー作で、初版は1961年。日本有数の炭鉱地帯・筑豊に移り住んだ著者が、かつて坑内労働を担った年配の女性たちから聞き取った話を、話し手の一人称の形で10人分まとめたもの。

日本統治下の朝鮮で生まれ育った著者にとって、日本は夢に見た祖国だったが、文庫版の「付録」として収められた後年の文章(『思想の科学』1992年12月号収載)で、著者は次のように告白している。

<戦後の日本の社会的規範として取り入れられたデモクラシーは、私には戦争中も心身を削るようにして無言で守ってきた、肉体の芯のごときものに比すべくもない、うすっぺらな飾りものに思えた。(中略)可能なら自分の中にもそして日本の何か(日本の中? 引用者注)にも、これなら許せると思うものが発見したかった。(中略)私は文字文化の中の日本人は、もう結構だった。十代を戦事下に育っていたし、植民地ではいっそう文字世界が生活の中心になっていた。(中略)母国からとどく書物の味気ないこと。人間の質の貧しさが、つらかった。…>とした後の「私にとって、文字に縁なく、そんなものを無視して暮らす人びとは、新しい泉に思えた。私は救われたかった。」という思いが、この本の元になる聞き書きの原動力になったようだ。
――ずっと真っ暗な炭坑で働き、生きてきた老女たちの語りは、戦争中と戦後の日本への著者の失望、絶望からの救いのように思えたのだ。

明治の後半から昭和の半ばにかけて、石炭はエネルギー資源のうち最大の割合を占め、女性も炭坑労働の不可欠な割合を占めていた。この本の聞き書きで語られるように、働き方は2人(か3人)一組で、通常、男が先頭で採炭し、後ろの妻や子供などが採れた石炭を坑口まで延々と運ぶ。労働負荷は後者の方が大きかったが、通常は前で掘る男の方が賃金が高かった。ただ、現実は一様でなく、この本の女性たちなど、中には持久力を含む肉体的な力や胆力、統率力などで並みの男たちを上回り、対等かそれ以上に稼ぐ女たちもいた。――このことを彼女たちは自負し、周囲も認めていた。

だが、彼女たちは時代の趨勢からは少数派である。世界的な労働運動や女性労働保護の流れに合わせ、日本政府も昭和の初めに女性の坑内労働を禁ずる。大手炭鉱からこの動きが始まり、ついには中小の炭鉱まで、女性の坑内労働者はいなくなった。聞き書きは、すべて過去形の回顧談である。

森崎和江『まっくら』が描くのは、少なくとも二重の意味で特異な世界である。炭坑の周囲の農村でも、大部分の日本でも、そして世界中で、人々は太陽の下、その恵みの作物を収穫するのに、真っ暗な闇の中、それも大人一人が這いずりながらかろうじて通れるような狭い坑道を何キロも進んだ先端部まで毎日通って採掘し、採れた石炭を坑口まで運搬する。朝暗いうちに勤めに出て、帰る頃にはもう夜で暗い。何日かに一度は休むとはいえ、それを毎日繰り返す。通常は男が前で楽をするが、女が何倍も働いて稼ぎも良いような場合もある…。――こうした「まっくら」の世界は、地上の普通の世界とは違いすぎて、女性労働史の中には位置付けにくいかもしれない。


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