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2024年01月03日17:15

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廃鉱とその集落

昨日の続きで、
(8)上野英信『廃鉱譜』(筑摩書房)
(9)森崎和江『まっくら』(岩波文庫)

上野英信氏については、去年の秋に瀬戸内晴美「吉野川」や真壁仁「最上川」なども収録した『流域紀行』(朝日新聞社)で、その「遠賀川」(おんががわ)を読むまで知らなかった。だがこの一編は、10編の中で最も強い印象を僕に与えた。その最大の理由は、遠賀川が「筑豊の炭鉱地帯を貫いて流れている」特異性にあった。

上野氏は1923年、山口県の生まれ。京都大学支那文学科を中退後、筑豊に移り住み、1957年までいくつかの炭鉱(ヤマ)で坑夫として働いた。戦後のこの頃まで、九州の炭鉱には左翼のインテリを惹きつけるものがあったようだ。(この2冊には出てこないが、1960年の日米安保反対闘争とほぼ同時期に、三井三池炭鉱を巡って、共産党や社会党などの左翼政党や学者も加わって、「総資本vs総労働」とされた大争議もあった)

『廃鉱譜』は、その上野氏が、川筋の谷ごとに掘られた多くのヤマが廃鉱になっていく中で、1960年代前半、元鉱夫とその家族が住む集落の無住になった長屋を改装し、家族で移住してからの記録である。居住家庭の3分の1が生活保護を受けている(上野氏自身も含む)が、その手当てだけでは生活できないので、ソーシャルワーカーや役場の社会福祉課職員の目を盗んで働きに出る。受給者は働けない規則があり、それを違反として摘発しようとする、規則にしか目が行かない大学出たての職員などの「敵」よりも、規則破りの住人たちの方が本音で生き、魅力的である。

子どもが高校に通うと手当てを受給できない、などの規則があったことから、近隣の都会である北九州に移住して就職したり、子どもたちは京阪神や東京に就職するなどして家族は解体され、廃鉱の集落も解体されていった。

森崎和江『まっくら』は、また稿を改める。

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