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2023年08月16日00:20

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着物から洋服へ

いま僕が興味のあるテーマを挙げるとすれば、自分が生まれ育った時代、一口で言うなら「高度(経済)成長期に何が起こったか?」ということ。ただ、「高度成長」といっても大きすぎ、広すぎるので、興味の中心はその中でも衣服の変化、煎じ詰めれば「着物から洋服への切り替わり」にある。自分自身は既に洋服に切り替わった後に育ったのだが。

いくつか本を読んでみると、1960年代、まさに高度成長期に化繊・合繊の成長、普及とともに、洋服の既製服が産業として台頭し、国民に普及、定着した。それ以前は、古着と手縫い、手染めの時代、それも木綿の普及以前は麻などの草木から採った繊維から手仕事で衣服を作っていた。その時代が、有史以前から数十年前まで続いてきたと知る。

こうした背景の中で、上記の「着物から洋服への切り替わり」にフォーカスした手頃な本はないかと思っても、意外に見当たらない。そこで、近過去の小説や映画に当たるぐらいしかないかと思っていると、Facebookの投稿で、高峰秀子主演の1954(昭和29)年の映画『二十四の瞳』で先生と12人の生徒が立って横一列に並んでいる場面の写真があった。その写真では先生だけが洋服、子どもたち全員が着物だった。時代設定は1928年から十数年という。映画というフィクションとはいえ、昭和の初めの地方(映画は瀬戸内海の小豆島が舞台)では、子どもはほとんど着物姿だったことの一例だろう。

そこで思い出して本棚から取り出したのが、『写真家が捉えた 昭和のこども』(株式会社クレヴィス)という2014年刊の写真集。これをめくりながら浮かんできた印象を整理する際に軸となった指標は、時間的には昭和10〜20年代が中核であり、子どもの服装の「和から洋へ」の切り替わりのピークだろうということ。また、空間的には都市vs地方(主に農村)、場面としては公的場面(学校やパレードなど)vs私的場面(家庭や放課後)が分割の軸となる。

時間軸では、年代が後になるほど洋服が増えるのは当然として、同じ昭和10年代でも東京、横浜などの都市部では洋装が普通だが、農村ではほとんど着物である。また昭和10年代も後半になると、戦時色を反映して女子のモンペ姿が見られる。鳥取在住で鳥取砂丘を背景にした写真で有名な植田正治の昭和14年の写真で、地方であり私的な場面なのに、小学生らしい女の子たちが夏の洋装なのは、写真家のハイカラな趣味だろう。

昭和28年の長野県の農村での、小学校「入学の日」の母子での登校風景では、子どもたちが洋装(学生服かセーラー服)なのに、お母さんたちはほとんど着物姿である。

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