1935年生まれの新約聖書学者・田川健三の「『マチウ書試論』論」(『歴史的類比の思想 改装版』1976年第一版所収)では、吉本は新約聖書のマタイの思想の観念性に「非転向の転向」とでも呼ぶべきものの原型を見出し、そのことが、戦後文学史上でも重要な『転向論』『芸術的抵抗と挫折』の主張につながったと指摘している。
そして、『新装版 思想の危険について 吉本隆明のたどった軌跡』(2004年10月第一刷)――雑誌連載は1980年代で、旧版あとがきは1987年5月)は400ページ余の全体がまるごと吉本論で、批判が7割くらいという印象である。
批判される内容は、「『大衆の原像』という虚像」「『共同幻想論』という幻想」「『対幻想』=男の作った『女』のイメージ」といった見出しに集約されている。
例えば、「大衆の原像」では、当初は誰にとっても身近な生活者の像だったのが、『最後の親鸞』の頃になると、現実の生活者からかけ離れた吉本の頭の中にある観念的な像になり、親鸞の考えるものとも異なっている。親鸞に限らず、田川氏は吉本を論じる際、その論じられ引用される対象である古事記やマルクスなどの原著に当たり、吉本以上に対象を理解していると思えるまで読み込んだ上で論じている。田川によれば、吉本は親鸞の思想を十分には理解していない、また誤解している。
田川いわく、吉本は「歴史に関心がなさすぎる」(例えば、そもそもの発生時の本質だととらえたものでも、歴史的に変化することを考えずに論を進めている)。
また、吉本は新語や造語や〈 〉など独自の用字用語を多用し、頼りすぎる。「対幻想」など、吉本自身も含め単なる日本の男の通俗的な思い込みを普遍的であると思い込んでいる。
たとえば吉本は「アジア的」という言葉を多用したが、それはヘーゲルやマルクスがせいぜいイラン辺りまでを念頭においていたにすぎないのに、吉本はヘーゲルやマルクスが無知だったインドも中国も東南アジアもよく知らないまま、無自覚に平気で「アジア的」と言っている。等々
――こう書くと単なる悪口みたいになるが、こうした表面的なことでなく、『共同幻想論』の中の、原初の対幻想が「共同幻想に転化する」という、極めて重要だが分かりにくいロジックを解読、分析、批判し得ているように見えた。
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