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2022年08月11日23:56

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本で旅する伝統工芸

1富山弘毅『鬼瓦お遍路 四国霊場八十八か所 写真紀行』
2同上『鬼瓦のルーツ 写真紀行 韓国、中国、カンボジア』
3日本藍染文化協会『日本の藍 伝承と創造』
4八田尚子『裂織の本』
5海野聡『森と木と建築の日本史』

1は何も予備知識ない者にも入っていきやすい。鬼瓦(おにがわら)と総称されるものの中で、文字通り鬼の顔や姿を象ったものを「鬼面(きめん)」鬼瓦と呼ぶらしい。著者は社会科の教師から市議会議員になった人だが、鬼瓦に魅入られ、写真を撮り、調べるようになった。写真の対象が四国88カ所なのは、日本全国の全ての寺社の中で圧倒的にここに鬼瓦が多いため、そうなるのが最も自然だったが、なぜそうなのかは分かっていないらしい。
 鬼瓦については専門家はほとんどおらず、発表された論文は宗教学や文化人類学などの研究者によるもの。寺の住職に訊いても、鬼瓦について知っていたり認識しているのは10人に1人位らしい。あるいは著者は世界で最も鬼瓦に詳しい人かもしれない。

3実は1、2と4は図書館の開架の棚で藍染の本を探してしていると近くにあったので目に留まった次第。めくっているうち、引用元の『阿波藍沿革史』の編者として出てきたのは、実家の近くの旧家の当主の名前だった!(これだけでは何代目当主なのか不明だが)。実家のある徳島県小松島は、歴史的に阿波藍の一大集散地で積み出し港だったが、その旧家は阿波藍の大商人だった――漠然とは知っていたが。

4「裂織(さきおり)」(地方によりサクオリ、サッコリ、ツヅレなどともよばれる)については、この本で初めて知った。今でも一部の地域や愛好者には伝えられているが、産業と生活様式の近代化、さらに高度経済成長によって日本人の生活様式が激変したため、ほとんど残っていない。
 起源について定説的に言われているのは、日本に木綿が普及し始めたが、まだ貴重だった江戸初期の頃。木綿の衣類が古着を過ぎてもう着られなくなると、生地を割き、さらに切って細切れにし、これを横糸の代わりに経糸で縫うことで、ある種パッチワークのように面白い柄で生地の厚みのある布、そして衣類ができ上がる。この裂き織とその技法は、特に寒冷地の農家などに伝えられてきた(木綿以前、人々が麻の衣類を着ていた頃から裂き織の技法はあった、という人もいる)。裂き織に限らず、ほとんど全ての衣服は、木綿やさらに化学繊維が普及し、誰もが既製品の衣服を買うようになった高度成長期まで、各家で女性たちが手仕事で縫い、繕ってきた。――書名は有名だが、読んでいない気がする柳田國男『木綿以前のこと』を発注。

5は唯一の自分で買った本。岩波新書で軽いので主に通勤電車で読んだ。類書の中でのこの本の特徴は、書名にある「森」についての比重が大きいこと。日本建築に用いられる木材は、伐採、製材された後の問題だけでなく、伐採以前の森林そのものの生育まで考慮、配慮しなければならない。歴史的に見て、法隆寺や東大寺など巨大な寺社にふんだんに用いられた大木は、当時は比較的近隣の近畿などから調達できたが、歴史が下るにつれて、調達が難しくなり、地域が日本全体、さらには海外に広がり、木材の部材化、部材の工夫等々が行われるようになってきた。今後は、建築は植林など「森を育てる」環境保全とも密接に関わってくる。
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