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2022年06月07日00:33

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「吉田調書」報道の奈落:『朝日新聞政治部』2

日本を代表する新聞としての朝日新聞の凋落は、インターネットの台頭・普及など同社内外の諸要因によるものだろうが、著者の鮫島浩氏が直接関与した「吉田調書」関連報道は、同氏を記者人生の頂点に押し上げ、その数カ月後には奈落へ叩き落すこととなった。同時に、朝日新聞自体の権威や信頼度の低下、凋落ぶりを象徴的に示す事件となった(らしい)。
 「らしい」というのは、僕自身この事件=問題を覚えていなかったから。長年、朝日新聞を取っていたのだが、ちょうど新聞を取るのをやめていた時期だった。その頃、「ニュースはテレビとネットで足りる」と思っていた。

鮫島氏によると、2014年の夏頃、朝日新聞は「吉田調書」「吉田証言」「池上コラム問題」という3つの問題を抱えていた。このうち「吉田調書」は2011年3月の福島第一原発事故当時の所長・吉田昌郎氏(2013年に死去)に対する聴取結果書、ワープロで400ページ余り。朝日の記者2人がこの機密文書を入手し、隅々まで熟読、さらに取材を重ねて分析・批評していた。このスクープは最初、華々しい評価を受けていたが、記事の書き手・送り手が意図しない小さな弱点が、やがて予想もしなかった大きなバッシングの着火点となる。
 一方、同じ吉田で紛らわしいが、「吉田証言」は1980年代に吉田清治(よしだせいじ)氏が、太平洋戦争中に軍の命令を受け、朝鮮で若い女性を慰安婦にするために自身が強制連行したとする証言を数多く行い、自らそれについての出版物を出し、主に朝日新聞・北海道新聞がこれを真実として頻繁に記事にして、朝日は安倍政権や他のメディアなどからの批判にさらされていた。安倍首相とパイプを持つと自負する当時の木村伊量社長は、長年にわたったこの問題を解決できるのは自分しかいない、と意欲的だった。
 さらに「池上コラム問題」は、2014年8月29日朝刊に掲載予定の池上彰のコラムが、朝日が「吉田証言」を虚偽として過去の記事を取り消した対応は遅きに失した、と批判する内容に木村社長が腹を立て、不掲載にした問題。この対応が、他のメディアなどから批判されるようになっていた。――僕自身は後の2つは知っていたが、肝心の福島第一の「吉田調書」問題は承知していなかった。

それまでの早い段階で、鮫島氏ら「吉田調書」関係者は、独自に反論、弁明、主張を行う記事の掲載を希望し、用意していたが、木村社長がその年の新聞協会賞を取るためにそれを認めず、遅らせていた。
 こうした状況で9月11日、社長自らが記者会見を行うこととなった。鮫島氏は上司から、会見の内容は上記の3点セットになると聞かされていたが、実際の会見を社内のモニターで観ると「大惨事」が起きていた。社長は自らが関与する慰安婦問題の「吉田証言」や「池上コラム」については話さず、福島第一の「吉田調書」についてのみ話し、質疑応答の中で記事が誤りであると認め、「関係者を処分する」とまで言ってしまった。
――鮫島氏によれば、記事は補足すべき点はあったとしても誤っておらず、広く議論されるべき重要な提言を含んでいる。そして、この時の朝日新聞の失敗の本質は、「記者会見では何をどこまで話すか」「事前に周到に練り上げる」など、危機管理と事後のダメージコントロールの杜撰さ、脆弱さにあった。

この鮫島氏の主張と批判に対し、上司や経営陣はどう答えるのだろうか?

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