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2022年02月22日23:06

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円生には弟子が一人もいなかった

一つ前の日記に「立川談志は『戦中・戦後と衰退・停滞した落語を反転、再生させた人』に見える」などと書いたが、特に典拠があるわけではない。そう思った根拠を一つ挙げれば、談志が17歳の年の日記に「円生には弟子がいない」と書いていたこと。

三遊亭円生(1900〜1979年)は79歳の誕生日に突然死するまで、志ん生などと違って高座ではいつも口跡鮮やかだった。なのに飄々とした味もあった。僕は好きだったし、落語界の名人の一人だった。その円生が、談志17歳の年は53歳で、既に実力者だったのに、「弟子が一人もいなかったとは!」と驚いたのだ。

しばらくして、談志より年上の円楽が円生に弟子入り。この二人と志ん朝、柳朝(その死後は円鏡)で落語界の「(若手)四天王」と呼ばれる時代が到来する。また円生には、円楽の弟弟子、孫弟子が増えていった。
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