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2022年02月16日00:25

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宿命的な出会い:立川談志の場合

『談志の日記 1953 17歳の青春』を読み始めた。立川談志が17歳、1953年1年間の日記(談志は2011年11月21日没:戸籍上の生年月日は1936年〈昭和11年〉1月2日生まれでこの本でもそうしているが、Wikipediaは前年12月2日の生まれとしている)。談志は筆まめで、日記も毎年付けていた。晩年、病床の談志がその日記一式を長男に託したうちの、最も古い一年分がこの本になった。

談志の長男・松岡慎太郎の名は、幕末の志士・中岡慎太郎によるとネットで見たが、「談志が仲の良かった石原慎太郎から許可を得て付けた」というのを何かで読んだ記憶があり、僕は後者の方が実相に近いと思う。石原も当時は後年ほど差別やヘイトの暴言で悪名高くなかったろう。まず概観を知ろうと、松岡慎太郎の後記を見ると7月9日の日記から次の一節が引かれている。

<僕には、夢を追うのみで、若さを楽しむ資格がないのであろうか。
 悲しい。
 その原因は落語なのだ。
 僕の宿命なのかも知れない。>

談志は高校を一年で中退し、柳家小さんに入門した。早くも退路を断っての人生の賭けだった。ところが、当然ながら17歳のごく普通の少年だから、学生時代が懐かしくなる。まだふらふら遊んでいる幼馴染や、かつての級友たちが羨ましい…。しかし、自分には落語がある、俺は落語に賭けているという意地がある。

「もし落語家になっていなければ何になっていたか?」という質問に、談志は「敢えていえば、相撲の呼び出し」と答えたことがあった(と僕は記憶している)。立川談志という存在の核心的部分に、一種の「反時代的情熱」といえるものがあった。

落語は、そんな少年が一生を賭けるに値した。
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