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2021年05月23日22:39

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「戦犯の形骸化と消滅」の時代

次に何を読もうかと迷って、未読・積読の本の中からたまたま町の古本屋で買っていた橋本忍の脚本『私は貝になりたい』(朝日文庫がオリジナル)の著者による序文と、保坂正康による解説を読んだ。脚本そのものは未読だが、昭和33(1958)年10月31日放送のテレビドラマとその後の映画化作品は、戦後のテレビドラマ史と映画史にその名を刻む名作とされ、さらに再ドラマ化もされている。僕自身は子供の頃か大学生の頃の再上映で見たかもしれないが、実際には見てないかもしれない。

ドラマの内容はいわゆるBC級戦犯の悲劇だが、今回、保坂氏が解説で指摘した次の一節にハッとした。

<ちょうどこの前年(昭和32年)、東京裁判でA級戦犯とされていた禁固刑を受けたり有期刑を受けた者でも、すべて巣鴨プリズンから釈放されている。刑に服しているA級戦犯たちの監督は、講和条約発効後は日本政府に委ねられていた。しかし実際には日本側はそれほど熱心にこの管理を行わなかった。A級戦犯のなかには、昼は自由に外出したり、仕事をしたりしながら夜だけこの巣鴨プリズンに帰ってくる人物もいた。>(後略)

サンフランシスコ講和条約発効が昭和27年4月28日だから、「戦犯の形骸化と消滅」はその後の約5年間のなし崩し的な進行だった訳である。僕はかつて満年齢が昭和の年号と一致する三島由紀夫の全集を読んだことがあるので、戦後という時代には何となく土地勘があるような気がしていたが、このテーマについては意識したことがなかった。恐らく三島由紀夫も、あまり気にしたことがなかったのだろう。三島は戦後という時代には、同世代のアプレゲールの青年たちに最も関心があり、作品に書いていた。
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