貝塚茂樹『孫文と日本』(講談社現代新書、1967年第一刷)の古本をめくっていて「?」と思った。
この本の「孫文最後の日本亡命」という一節に次のような箇所がある。
<これが、世に第二革命と称せられるものだが、袁に先手を取られた革命軍は敗退した。ついで袁世凱は国民党を非合法化し、追捕令を出したので、孫文はまず台北に逃れ、ついで十二月はじめ信濃丸で神戸に着いた。>
――今月4日の日記に書いたが、孫文が第二革命の敗北後、亡命のため日本に着いたのは1913年の「8月」だったはず。実に4カ月の誤差がある。
貝塚茂樹は中国古代史が専門だが、孫文や毛沢東など近現代についても書いている。その際、この本での「孫文略年譜」の作成もそうだが、下調べは教え子的な人たちに任せている。この「十二月」というのもそうなのだろうが、この誤差は下調べの担当者の責任というより、恐らく孫文や中国革命に対する当時の研究水準を反映しているのだろう。
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