mixiユーザー(id:7131895)

2020年11月25日08:19

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今年の憂国忌には

行く気なし。

1970年11月25日、三島由紀夫事件ないし楯の会事件から半世紀。第一報を聞いた時の自分自身の状況も含め、事件のことは今も記憶に新しい。
 去年か一昨年、久しぶりに憂国忌に行ったような気がしたが、mixi日記を探すとどちらでもなく2017年だった。もう3年になるのか。今年は記念すべき50周年忌?に当たり、NHKや新聞でも大きく取り上げられているが、今夜の50周年憂国忌に行く気は起こらないので、3年前の日記を引いてみる。(なお三島を偲ぶ集いは各地で行われているかもしれないが、ここで言うのは、東京永田町の星稜会館で行われているものを指す。)

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11月25日、三島由紀夫を追悼する憂国忌に行った。1970年11月25日の三島と森田正勝の切腹自殺から丸47年後に。

(ウェブで、この日には埼玉や横浜などでも有志が三島を追悼する集いを催していることを知った。僕が行ったのは、自決当日に三島のファンや支持者らが呼びかけ合って集まったのが由来の、翌1971年の11月25日から『憂国忌』として毎年欠かさず開かれている本家本元)

僕は多分40年前の1977年とその3年後くらいに2度ほど憂国忌に行ったと思うが、内容は全く覚えていない。その後、いったんニューヨークに移住し、帰国後は日本にいたものの憂国忌には行ったことがなかったが、今年はなぜか久しぶりに行ってみる気になった。会場は永田町・星稜会館。(ウェブに掲載された開催概要には入場料について記載がなかったので、受付で記載すべきだったと苦言を呈した)

集まった数百人の中で最も目立ったのが、60代後半くらいの男性たちだった。この人員構成では将来はじり貧のように見えるが、主催者によると、(近隣諸国との関係や憲法改正への動きの影響か)ここ数年は出席者が増えているらしい。

メインのイベントは「西郷隆盛と三島由紀夫」と題されたシンポジウム。パネリストの筆頭に名前のある文芸評論家・桶谷秀昭氏は体調不良で欠席だった。

閉会間際、追悼挨拶を述べた女優・村松英子の隣に立ったルックスがハーフっぽい若い美女はその実の娘。40歳には見えなかった。

最後は「海ゆかば」斉唱。う〜ん…

GandhiGanjee2017年11月29日
ウィキペディアでは、憂国忌は、1970年12月13日に3000人が集まったことが元になり、翌1971年11月25日から毎年開催されているとあった(いま改めて見ておらず、記憶による)。

ただ今年の憂国忌では主催者の1人が、事件当日(1970年11月25日)、約2000人が集まったのが元になったと話していた。

推測するに、恐らく事件当日、現場・市谷の自衛隊駐屯地の門前に自然発生的に集まった三島の知人やファンが呼び掛け合って、その年の12月13日に追悼の夕べを開いたのだろうと思う。
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