満川亀太郎『三国干渉前後』をめくって出くわした次の言葉にハッとした。
「渥美勝氏曰く……維新には三大勢力が渦を巻いていた。即ち黒住、佐幕、勤王の三派であった。(後略)」
佐幕、勤王は当然だが、その前に幕末に生まれた新宗教の一派にすぎない「黒住教」が挙げられている!(「ええじゃないか」や「おかげまいり」や「世直し一揆」は中学の教科書にも載っているが、それらとの関連は?)。その辺を納得したいと思い、ググっては、関連しそうな2冊の本を取り寄せて読みかじった。原敬吾『黒住宗忠』は教祖について、桂島宣宏『幕末民衆思想の研究』は論文集だが、当初の疑問は解けなかった。渥美勝の言ないし満川亀太郎の引用ほど、黒住が突出したという記述はない。ただ、後者の次の指摘・主張にハッとし、なるほどと思った。
「民衆宗教(黒住教、天理教、金光教)は、幕末から1877年(明治10)頃まで、神道や宗教という概念で補足しうるものではなかった。それは端的に『病気直し』とよぶべきものであった」(中略)
「民衆宗教とは、このように働きとしての神々が、それ以前の修験者などの特権的職業的担い手を離れて、非特権的立場にあった百姓らの関係間に『現出』し、『病気直し』を中軸とする実践(プラクティス)によって新な共同体が構想されていった歴史的運動であった」
この最後で「新な共同体が構想されていった歴史的運動」と言われるものが、渥美勝が維新の三大勢力の一つとして挙げた「黒住」に近いかもしれない。
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