今日で終わる運慶展を見に行ったのは先日のこと。
見て覚えた印象は「運慶も仏師(の1人)だったんだ」ということ。運慶も時代の子であり、存在の被拘束性を免れていない、という当たり前のこと。
なぜか、すべての作品が「東大寺南大門金剛力士像」のような、人間の造形力のある極限の境地の発現、その作品群であるような気が、見る前にはしていたことを自覚した。
職業的に仏像を作っていた多くの有名無名の彫刻家たち、「仏師」の1人だったという当たり前の事実。ただその中で、時に、いわば時代を超えたかのように、人間の造形力の極限形のような作品世界にも到達していた。
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