共通点の1つは、驚くほどの言葉の「軽さ」だろう。
共に森友学園の籠池前理事長を巡る発言。
稲田前防衛相は、会見で同氏との関わりを一切否定した直後に、同氏の裁判に同氏側弁護人として出廷していたことが発覚。翌日、訂正と謝罪に追われた。
普通の人間なら、「・・・と思いますが、念のため持ち帰って改めて調べ、確認出来次第ご報告します」と言うにとどめるのではないか?
一方、稲田氏を引き立て抜擢した首相はそれに輪をかけていた。籠池夫妻に私や妻が関係していたなら、議員も総理も辞めると国会の委員会答弁で見えを切った。
この場合も、普通の人間なら、妻については100%承知してはいないので、持ち帰って精査し、分かり次第発表するとでも言うだろう。国会という最も公的な場であり、NHKで全国放送もされているのだし。
この点で見ると、稲田氏も首相も、平均的な日本人よりもはるかに「言葉に重みがない」。まるで「言葉の重みは地位の高さに反比例する」と言えるかのようだ、この2人だけ見ていると。
こんな大臣や首相を見て、青少年を含む国民が自分の国は優れていると思えるとは考えにくい。自然の美しさや芸術・文化の洗練度は誇りにできても、政府高官についてはむしろ日本人であることが恥ずかしくなることが少なくない。
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