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2017年03月12日13:49

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高橋睦郎の見た三島由紀夫3

1 高橋氏によると、三島は自分の死の本当の意味をあかす生々しい資料を残している。死の年の忙しいスケジュールを割いて、自らモデルとなり篠山紀信に「男の死」という写真を撮らせていた。高橋氏が見せられたその中の1枚は、法被・半股引・白足袋姿の一心太助が地べたに尻をついて両脚を投げ出し、晒布を巻いた腹に出刃包丁をつっ立て、放り出した天秤棒を通した盤台から夥しい魚が飛び出している状景。こんな国体への殉死がどこにありましょうと。明らかに肉体への殉死、存在感の獲得のための殉死だと。

2 高橋氏によると、三島の辞世の歌は紋切り型であるだけでなく感動がない(古来、辞世の多くは紋切り型でも、それを超えた感動があったのに対し)。自衛隊員への「檄」にも、『文化防衛論』にも、あえていえば『英霊の声』にもない。ないのは真実がないから。真実は「憂国」に、さらにいえば「愛の処刑」にある。「愛の処刑」こそ、10年前に書かれた辞世、少なくとも遺言書ではないかと。

3 晩年の三島は、究極の小説は芸術家小説であり、その内容は芸術家である自分と市民である自分との対立葛藤であると言っていた。穿って解釈するなら、少年愛者である自分と、世間的にそのことを否定して生きている不正直な自分との矛盾葛藤ではないかと高橋氏は考える。

4 三島は最終的に語る者に徹することを選ばず、語られる者として死ぬことを選んだ。
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