山田風太郎『戦中派虫けら日記』の残るページで気になったのは昭和19(1944)年7月18日の日記。サイパン玉砕が報じられた日である。
<どこかのラジオが大本営発表を伝えていた。
「およそ闘い得る在留同胞は敢然戦闘に参加し、おおむね皇軍将兵と運命を共にせるがごとし」
といっている。
「戦い得ざる」ものはどうしたのだ? 日本人として実に冷酷無残な要求であるが、しかし一人残らず死んで欲しかった!>
特に印象深いのが、最後の「一人残らず死んで欲しかった!」という言葉。前の日記で引いた、餓死するまでハンガーストライキを貫徹しなかったインド独立運動の指導者ガンジーを激しく軽蔑、非難した言葉と同様な思想、「生よりも死が尊い」とする価値観である。
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