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2015年11月22日01:21

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死への覚悟

返却前の本の1冊:
帯津良一『ピンピン、コロリ。 気持ちよく生き愉しい死に方をするために』(青志社、2010)

著者は1936年生まれ。東大医学部卒の医師・病院経営者で著書多数だが、西洋医学に東洋医学や代替療法を含むホリスティック医学の確立を目指す、ということは、現代医学界のメインストリームではない、ということだろう。

印象的な箇所から引用、要約抜粋すると――。

藤原新也『メメント・モリ』からの孫引きになるが、
・「死というものは、なしくずしにヒトに訪れるものではなく、死が訪れたその最期のときの何時かの瞬間を、ヒトは決断し、選びとるのです。だから、生きているあいだに、あなたが死ぬときのための決断力をやしなっておきなさい」

・私の個人的な考えでは、老衰はあまりいい死に方だとは思っていません。
 藤原新也さん流にいうと、老衰というのは死ぬ瞬間をつかみそこねてしまった末の死に思えるのです。

・映画『おくりびと』の元になった『納棺夫日記』の作者・青木新門氏に雑誌『仏教』のコピーを渡され、WHOが健康の定義としてスピリチュアルをとりあげたことが書いてあって、体が震えたという。1999年のこと。ただしあくまで「提案」段階で、韓国と日本が反対し、全会一致にならないので総会の承認が得られていないままという。

・著者によれば、医者がいちばんスピリチュアルじゃない。

・大学の医学部では医学概論で生と死について教えるが、教壇に立っている医者自体、医療現場の経験より、論文の数で選ばれる場合がほとんどだから、患者さんの「からだ」はもとより、「こころ」や「いのち」にまで配慮した授業がどこまでできるのか、大いに疑問がある。

――僕は藤原新也『メメント・モリ』を、さらっとめくっただけで、この帯津氏ほど真剣に受け止めてはいなかった。当時は今よりも「死」をまともに受け止める気がなかった。避けたかった。死は、その訪れを、ある覚悟を持って受け入れるものなのか…。

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