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2015年11月14日02:42

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ナベツネの靖国、東条観

『靖国戦後秘史 A級戦犯を合祀した男』の巻末にナベツネこと、読売新聞グループ本社会長・主筆、渡辺恒雄の『文藝春秋』2014年9月号への寄稿文の主要部分が掲載されている。読売新聞も『文藝春秋』もほとんど読まないので、僕にはナベツネの靖国や東条英機に対する考えが新鮮だった。ポイントを抜粋すると――。

・ 「A級戦犯」が分祀されない限り、国家を代表する政治的権力者は公式参拝すべきでない。
・ 先の戦争については、戦勝国による「太平洋戦争」、敗戦国日本の政治指導者による「大東亜戦争」、日本の評論家による「15年戦争」などの名称があるが、読売新聞は「昭和戦争」と呼ぶことにした。
・ 日本の戦争拡大は1928年「パリ不戦条約」(日本は翌年に批准)違反であり、憲法9条はこの不戦条約とほぼ同じ内容。
・ 靖国神社が昭和戦争を聖戦だとする認識は、歴史認識上、妥当とは思われない。なぜなら、満州事変以後、軍部の無謀な戦争拡大によって大戦争になり、何百万という犠牲者を出した事実は否定できないから。
・ A級戦犯として起訴されたうち25人が有罪判決を受けた事実は、サンフランシスコ平和条約調印の際、日本政府として承認している。今や「戦争責任者の象徴」となっていて変更は困難。
・ 東条英機陸軍大臣が出した「戦陣訓」は、極めて非人道的で、その犠牲者の霊のためにも許されない。
・ ナベツネは戦争体験者の最後の世代で戦時中は陸軍二等兵だったが、ほぼ敗戦確実だという戦況の情報はかなり知られていた。友人や先輩が前線に行った例はたくさんあったが、彼らが「靖国で会おう」という合言葉で喜んで戦線に赴いたという事実を目撃したことは一度もない。
・ 開戦直後の勝利を信じて戦地に赴いた兵士たちと、敗戦確実と思いながら徴兵された兵士たちの思いは全く違う。そういうものを全て同一視して聖戦で戦没した英霊という言葉を戦後世代が勝手に使うことは、正当ではない。


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