返却前の本で、まともに読んだ一冊は、川村湊『異郷の昭和文学 ―満州と近代日本―』(岩波新書、1990)。
著者が言うように、「満州文学」というカテゴリー(台湾、朝鮮、サハリンなど他の外地も含め)を設ければ、つとに文学史上において確立されている「プロレタリア文学」や「新感覚派」…といた既成のカテゴリーに対置できるぐらいの重要性を持ってくるかもしれない。
もう一冊挙げると、ブックオフで買ったグループ一九八四『日本の自殺』(文春新書、2012。底本はPHP、1975)。ここでの自殺は、個人でなく、日本国の衰退のことである。
著者は匿名の、自民党や財界のブレーンを務めた保守派学者のグループとされているが、実際には、全学連の第二代委員長から転向した経歴を持つ香山(こうやま)健一が、一人で書いたらしい。
人類の文明史を振り返ると、どんなに繁栄を誇った帝国・文明も、やがては衰え、滅びたが、すべてその真の原因は、外敵の侵入などの外部要因ではなく、その社会内部の衰弱や腐敗であったという。そして、その兆候は、日本でも今から40年も前の1970年代、オイルショックのさなかにあった頃、すでに現れているという。
古代ギリシャやローマでは、富裕な有力者は、民衆の歓心を買うため「パンとサーカス」を振る舞ったが、現代日本の政治家も票のため同じことをしている。あとがき的なコメントを書いている現代の学者の一人によれば、その頃の有力者は、私財を投げ打って寄贈ないし恵与を行ったのに対し、現代の政治家は、悪いことに、税金ないし国家財産を使って、民衆への施しを行っている。
日本国民は、政治家も含めほとんどすべて、過去の遺産や政府など他者からの恵みを期待するだけで、誰一人、国家の将来を見据えた、責任ある行動を取っていない…。
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