雪国は好きだ。
1920年代のアメリカではラップミュージックは流行っていないが、何故、回想シーンでラップミュージックを使っているのだろうか?
「ユリシーズ」という作品が有名なのは知っているが、読んだ事は無い。
CGグラフィックスの使い方が数年前の作品よりも粗くて実写なのにアニメーションみたいな場面があったのが見苦しかった。
バズ・ラーマンの「ムーラン・ルージュ」みたいな演出をしている。
精神安定剤を飲んで騒ぐのは無理がある。
違和感があると思ったら、この作品の原作に精神科医は出て来ない。
それに、設定や台詞も随分違うし、1920年代アメリカの設定にしては酷い演出だ。
主人公がギャツビーからの招待で初めてギャツビー邸へ行く場面で「オペラ座の怪人」のメロディーがパイプオルガンで流れていると思ったら、矢張ギャツビー邸の広間にパイプオルガンが在った。
個人的には暇と金が有れば伊勢海老とロブスターを食べ比べてみたい。
ギャツビーが意中の人(女性)と会っていなかった期間が「5年」と言ったのを聞いて「たったの?!」と驚いたのは私だけだろうか?
私には「10年」近く忘れられ無かった人(女性)が何人かいるが、相手が会いたいなら未だしも、私から会おうとは思わない(連絡先が分からない人(女性)もいるし)。
「過去はやり直せるんだぞ、友よ!」は、タイムスリップして過去をやり直すとか、クローンを造って過去をやり直させるという事では無い。
しかし、ギャツビーがデイジーの何処に魅力を感じるのか全く分からない。
(※この日記本文とコメントの内容に他意は無い。)
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