ドイツ映画。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の作品。
警官を首になって果物屋になったうだつの上がらない男が破滅して行く話だ。
「人間は皆死ぬのよ。早いか遅いかだけ。」
これには同感だ。
しかし世の中には、それを上手く認識出来ない人間が多い様で、極端な話「自分だけは死なない」等という虚妄を抱いている輩が多い事を不思議に思った(死ぬ可き時が来たら人間誰でも死ぬだろう。問題はその天命が何時来るかは誰にも分からないという事だ)。
今日は病院へ行って一週間分の診断書を貰って来た。
今朝方から心臓の調子も悪い。
12月下旬から脚の低い炬燵で寝起きしているので寝返りを打つのも一苦労だ。
今年のNHK大河ドラマは「平の清盛」らしい。
そういえば昨年の日記に、職場の風潮を喩えて「平家は明るい」と書いた覚えが有る。
尤も、俺自身は明るさとは無縁だ。
そして何より職場の人間を率いているのは俺では無いのだが・・・。
Yahoo!ニュースでハイブリッド車の記事を見たが、名前と性能と値段を勘案すると買い換えでは「アクア」が売れそうな気がする。
只「燃費の為に軽量化した」と有るので車体の強度が気になる所だろうか。
昨日、Yahoo!ニュースで東洋大の選手のコメントが出ていたので、その反証として「本物の神」の性質に付いて考えたが、やはり旧約聖書に登場する神が「本物の神」とするのが妥当な様だ。
というのは、新・旧聖書中の神の性質に関する記述と「本物の神」に想定される性質が一致するからだ。
思うに「本物の神」というのは「この世界に存在する全てに宿っている存在である」か、又は「この世界には存在せず、この世界の外側からこの世界を監視している存在である(この可能性が極めて高い)」かだろう(旧約聖書(創世記)では「この世界を創る描写」が為されているので)。
「本物の神」が特定の人物に憑依する事も、又は「本物の神」を特定の人物が演じる事も不可能な様に思う。
その論拠として、旧約聖書中に「生きている人間が神を見れば即死する」旨の記述が在る。
そもそも旧約聖書に登場する人物の中で「生前に神の顔を仰ぎ見た者」は5人も居ない(新訳聖書に到ってはキリストですら「生前に神の顔を」見ていない)。
そして、この記述は7年前と今年の1月1日に俺が個人的に体験した内容とも合致する。
そもそも、7年前の体験では確かに「神の顔」を直接見たが、今年の1月1日には「神の顔」を見ようとした所で目が覚めている。
この二つの体験に於ける明確な違いは、前者は「臨死体験」であり、後者は「夢」である、という点だろう。
つまり、前者では「現実」での俺が「死んでいた」ので見れたが、後者では「死んでいなかった」ので見れ無かった、という説明が出来る。
※この日記本文とコメントの内容に他意は無い。
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