イタリア映画。
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の作品。
徒歩旅行を続ける親子にカラスが語りかける話だ。
神父だか牧師だかが出て来たので思い出した。
この前調べた結果、聖職に就く為にすら資格が必要であるのが分かった。
全く世も末だ。
息子が修道士に「なぜこんなに苦しむ必要があるの?」と尋ねた事に対する修道士の「天国に行くためだ。」とした答えは間違っている様に思う。
寧ろ、カフカの「断食芸人」の主人公が、物語の最後に「何故食べないのか?」と尋ねられたのに対する答えの方が、より的確だ。
即ち「口に合う食べ物が有れば、私も他の者と同じ様に満足するまで食べただろうが、しかし私の口に合う食べ物が無かったのだ。」とするのが妥当と言えるだろう。
因みに、この後に交わされる鳥達の教理問答の答えが何ともイタリアらしい。
昨晩と日中で「灰羽連盟」と「Vocalo Vision feat.初音ミク」を観た。
今年は珍しく初夢を見た。
俺が老人の膝に寄り掛かる様に座っていて、起き上がろか起き上がるまいかと考えていると、老人が「私の右側で座って待ちなさい。」と言う。
7年前の夢で見た老人なのは分かっていたので、懐かしく思いながら顔を見ようとした所で目が覚めた。
起きた瞬間、聖書のダビデ関連の記述が頭を過ったので、早速調べてみた。
やはりこの一節は新訳聖書の福音書に在る。
神の子羊がダビデの血筋から出るか否かに付いて言及しているヵ所だ。
只、問題はこの場合の右がどっちなのか分からないという点と、現実問題として捉えた場合に椅子を何処に見出だす可きかという所だろう。
因みに、あれから7年経った今でも、というよりは7年経った今だからこそ、この道を逸れる事も無く歩き続けていたという不思議に必然を感じる。
※この日記本文とコメントの内容に他意は無い。
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