今日は8時間勤務だと思っていたのに、出社してみると6時間だったので帰宅してからの時間が余ってしまった。
なので予定を変更して長編を観る事にした。
最終章の発売時期まで待とうと思っていたので、この作品から先のシリーズはまだ一度も観ていない。
ヴォルデモートの復活を信じようとしない魔法界を尻目に、ダンブルドアを筆頭にした一部の魔法使い達が不死鳥の騎士団を再結成する話だ。
「賢者の石」の頃と比べるとバーノンおじさんも老けたなーと、またどうでも良い事を考えてしまった。
ダーズリー家の服装も「秘密の部屋」の頃より随分まともになったものである。
しかしヴォルデモートにスーツは似合わない。
あのシュールな光景を目にして恐怖を感じたハリーもハリーなのだが・・・。
トレローニー先生の預言の能力にムラがある件は、能力のある人間が常に有能であるとは限らないという事の証左だろう。
裏で事が動いている時は、とかく誤った情報が流され易いものである。
だからこそ、その情報の裏にある意図を見抜く技術が必要となって来る。
しかし「ダンブルドアが軍団を組織して魔法省に盾突こうとしている。」という風評が流布している時に、防衛術を学ぶ地下組織の名前を「ダンブルドア軍団」にするとは・・・愚かだ。
あの預言の山が崩れて行く様は・・・作り物でも知識の集積が崩れて行く様は・・・悲哀をそそる。
「どれだけあやつと似ておるかではない。どれだけ違うのかだ。」
映画の内容から脱線するが、これは何れ書こうと思っていた事の手引きとなるだろうから次いでに、似て非なるもの(哲学と政治学)に付いて簡単な考察を加えておこう。
両者とも、技術としての直喩と暗喩を使用する点では同一であるものの、それぞれの学問を探究する上での目的は決定的に異なる。
また、その他にも哲学で使用せず、政治で利用する細かな技術もある様に思うが、これに付いては何れ暇な時があれば書く事としよう。
昨日、昼寝をしていないので今日は朝から一日中眠かった。
当然の如く今も眠い。
明日も日勤だ。
※この日記本文とコメントの内容に他意は無い。
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