昔、何度か見た作品だが「序盤に対テロ作戦の場面なんてあったっけ?」と思っていたらリメイク版だった。
場面の切り替えがドラマっぽいと思っていたら、思った通りTV版だった。
小学生に知られているプロデューサーというのは余程の凄腕なのだろう。
船長の名前が「ポール・ギャリコ」というのがブラックジョークだ。
狭い通路で突然人が飲み込まれたあの現象は何?
それと、あの間欠泉みたいな現象は何?
水中でも使えるライトはあるだろうと思っていたが、この作品が撮影された時点で開発されていた。
司教が未亡人の最期を見届ける場面で「結婚」という言葉を使っていた。
私が昔、「生物が最終的に何処へ行き着くのか?」に付いて日記に書いた内容は正しかった様だ。
しかし、安易に死を選ぶ事には反対だ。
それは「逃げる事」だ(私も長らく、そういう事はやっていない)。
もし、安易に死を選ぶ事が答えだとするならば、この世界その物が不要という事になる。
その場合「何の為に生物が生殖して子孫を残す必要があるのか?」という疑問が湧いて来るし、その答えが無い事になる。
キリスト教が言う所の「天に行われる通り、地にも行われます様に」というのが、或る意味では、その答えになる(そういう事を私は2012年1月の日記に書いたし、それ以前から私が実生活に於いて体現して来た事だ)。
「武士道」という書物の最初一文は「武士道とは死ぬ事と見つけたり」となっているが、それは或る意味で事の本質を現しているが、しかし上述の通り、それだけならば残りの文章(或いは世界その物)は全て必要では無い事になる(だから日本には「急がば回れ」という諺もある)。
勿論、私に対して「祀ってやるから死んでくれ。」或いは「祀ってやるかどうか分からないけど死んでくれ。」等という奴がいても死ぬ積もりは無い(そういう事は高校の頃の私に言いなさい)。
この文章もまだ完璧とは言えない。
(※この日記本文とコメントの内容に他意は無い。)
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