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2025年05月30日21:04

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福田村事件

関東大震災が起こった時、在日朝鮮人と間違われて行商人が殺されたという出来事が有り、これはそれを映画化した話だ。

百姓しか居ない様な村で、ハイカラな身なりは可なり浮いている。
あれで村に馴染めるのか疑問だ。

俺は以前、農業の会社に居た事が有るので中小規模の農家が如何に大変かは身をもって体験している。
手作業で田植えや収穫もやったし、灼熱のハウス栽培も体験したし、茶畑での雑草取りや刈取りも体験した。

「戦争しないで済む世の中にする為に、教育が必要だっぺよ」
領土領海領空と国民の生命と財産を守る為には教育は必要だ。
だが、それは正しい教育でなければならない。
例えば、係争地を自国の領土で有り、それは間違い様の無い事だと教えていた場合、結局、どちらの国も引き際が無くなり、行き着く所は戦争だ。
戦争を回避する為には、自国の主張だけを「正しいもの」だと教えるのでは無く、係争地は係争中だと正しく教えなければならないと俺は思う。

「食いっぱぐれて日本来て飯食えるだけ有り難てえって思えってえの」
これは今の日本にも当てはまる問題だ。
賃金の格差はこの頃と違い今は平等になっているだろうが、例えば外国人参政権等や土葬の問題等は持っての他だ。
「郷に入れば郷に従え」という言葉が有る様に、外国人の都合の良い様に日本の法律や慣習を変えさせられる謂れは無い。
日本のルールに従える外国人のみを受け入れる可きだと俺は思う。

メディアに寄る偏向報道の問題も出て来る。
俺はTVを殆ど見ない。
ニュースはネットの報道を読む位、後はTwitterの書き込みを見る位だ。
自分の意見が偏らない様に常に注意はしている。

「誰だって終いには我だけが助かりたいんや」
俺はもう随分以前から「救い」が来るのを待っている。
聖書のヨブの様に最後迄「自分が正しい」と言うのを止める積もりは無い。
そして、生前に「救い」が来なくても最後の最後迄痩せ我慢をする積もりだ。
もし、生前に「救い」が無く非業の死を遂げたなら、恐らく死後に呪いを残す。

「若い奴に、忠君の精神叩き込んどくれ」
俺にも、所謂「偉い人」を敬う心は有る。
しかし、その発言や行動で敬う可き人かどうかはチェックしている。
盲目的に、他人が「敬え」と言って来た人間を敬う積もりは無い。

「なあ、わしらと朝鮮人、どっちが下なんな?」
「どっちが上も下も無い」
俺も此れはそうだと思う。
重要なのは「人種」では無く「教育」だ。
以前、Twitterで中国人と議論した事が有るが、別に日本人と変わり無かった。
勿論、日本人とも議論した事は有るが、中には知性を疑いたくなる様なマウント取りや暴言を吐く者も居て、嫌な気持ちにさせられた事も度々有った。

「楽は苦の種、苦は楽の種」
何か、俺は苦しい事ばかりだった気がする。

「貴方は何時も見ているだけなのね」
自分が間男と密会していたのに、それを目撃した旦那に言う台詞としては最低だ。

「皆二言目には、わしら死ぬ迄幸せになれん言うけど、そがな事には絶対ならへん」
未だ死期を迎えていないので、これからどんなどんでん返しが有るか分からないので確たる事は言え無いが、死ぬ迄幸せになれない人生も有る様に、今の俺には思える。
実際、俺も人生の下り坂を迎えて、未だに幸せでは無い訳だし。

「人間に光あれ」
絶望的な世の中だからこそ、「人間の心の輝き」を示し続けなければならないのだと俺は思う。
俺は、成り行きで「預言者」になったが、成ったからには最期の時が訪れる迄は「預言者」としての責務を全うしなければならないと思っている。
「預言者」を止め様と思ったら、全てのニュースから目を塞ぐ必要が有る。
何かを見たり聞いたりすれば、人間は直感的にでも何かを考えてしまうものだからだ。

行商人が朝鮮人と間違われる場面は一寸強引だったと思う。
脛に傷を持つ人しか「朝鮮人では無い」と言う人がいないのは不自然だ。
尤も、脛に傷を持っていたから冷静でいられたのかも知れないが・・・。

ヘイトは実際の行動に出る前に既に始まっているとよく言われるが、この一件もそんな感じでは無かったかと思う。
また、流言蜚語に騙される人が多いのは、今も昔も変わらないのかも知れない。
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