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2013年06月21日16:55

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ALWAYS 三丁目の夕日’64

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の続編。

記憶が曖昧になっていたが、矢張、戦後日本ではオリンピックが開催されていた。
因みに、俺は「クールランニング」の影響で、オリンピックは冬季オリンピックのボヴスレー位にしか興味が無い。

他の映画でもそうなんだが、昔の知り合いに似ている人が何人か出ていた。

作家と父親の関係が志賀直哉と父親との関係にそっくりだと思っていたら、作家と義理の息子の関係も凄かった。
戦前の作家の葛藤を戦後にすると、こんな感じかと言う具合なのだが、志賀直哉の略歴と全作品を知っている俺としてはグッと来るものがあった。
しかし、作家と義理の息子の関係で志賀直哉と父親の関係をリフレインする必要は無かった。
時代(時)が違えば、また少し違った関係性が構築されたとしても不思議は無いし、寧ろその方が自然だ(当然、繰返しでは無いのだから)。

志賀直哉の略歴に似た人物が登場したので大宰治の事を思い出してしまった。
ここで、大宰治に付いての誤解を正しておこうかと思う。
大宰治だと「晩年」や「人間失格」が余りにも有名で暗いイメージが付き易い(俺自身も2002年に高校で初めて告白した娘を交際前に寝取られた経験があるので、そういう意味では感情移入し易い作家ではあるが・・・)。
しかし、「惜別」や「御伽草紙」はそういう作品では無い。
「惜別」は「正阿Q伝」の作者が日本に留学していた頃の話で、日中の思想の微妙な違いを現している作品だ(実際、今でも資料として参考になる程、良く書けている)。
「御伽草紙」では日本一の桃太郎の話だけは書けないと忌引きした(一作家が日本一とされる勇者の話を書けないと遠慮した事に付いては、その当時の作家(大宰治)の日本らしい奥ゆかしさを感じる事が出来る)。
更に、大宰治は太平洋戦争中も日本で作家として活動していたが、厳しい検閲の中でも欧米との戦争には反対だった数少ない作家だったという記録が残っている事も明記しておく(ノーベル文学賞を授賞した川端康成は太平洋戦争中は太平洋戦争に賛成だったという記録も読んだ覚えがある。大宰治がノーベル文学賞を授賞していないとするならば、それは太平洋戦争後の世界に取って大きな汚点と言えるだろう)。

(※この日記本文とコメントの文章に他意は無い。)
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