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2021年12月18日00:51

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天正遣欧少年使節2

若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』(2003年)を読了。文庫版も出ているが、入手したのは集英社版の二段組ハードカバー550ページ。重さが約800グラムある。ソファーで手に持ったり、寝床で腹ばい、横向き、仰向けで両手で上に掲げて、と体勢を変えながら読み進めた次第。机上に置けばそんな苦労はないが、仕事の後も「同じ机に向かいたくない」一心。

読みながら痛感したのは、戦国末から江戸初期のキリシタンの時代は、西洋と日本が歴史上「初めて接触、衝突した」時代であり、太平洋戦争を除けば「最も激しく」衝突した時代だったことである。著者の筆致は時代背景をなす双方の諸勢力に注がれる。物語の主役であるべき4人の12歳から14歳の少年(イタリア語で「ラガッツィ」)はようやく本の半ばになって登場し、最後まで描かれる分量は多くない。諸勢力とは、日本側では少年らを送り出した大友宗麟らのキリシタン大名とそれに敵対する戦国大名、将軍家、天皇や公家、僧侶など仏教・神道・儒教の旧勢力、全国統一を目指す織田信長と彼に続く豊臣秀吉らであり、彼らが何を考え、どう行動したかが描かれる。

西洋側では、少年使節の発案者であるイタリア人でヴァチカンからインド・ゴアに派遣された巡察使ヴァリニャーノ。彼はイタリア貴族の出で、法学と神学を修めヴァチカンのエリートコースにあったが、その中の勢力争いに巻き込まれ、イエズス会で中国や日本を含むアジア担当に回され、出世コースから脱落する。そのイエズス会は、カトリックが宗教改革によって新教徒に奪われた失地の回復を目指すカウンター宗教改革をリードして、ヨーロッパ以外への布教に力を注ぐ。イエズス会のヴァリニャーノが日本でしばしば対立したのが、同じカトリック教会ながら中世からあったフランシスコ会の司祭たちだった。彼らは世界制覇を目指すポルトガルやスペインの国王らの手厚い支援を受けていた。主なものだけでもこれだけある諸勢力の中で、4人の少年は嵐の中で大海に浮かぶ若葉のようにはかない存在だった。(続く)
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