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2014年12月06日05:03

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戦後ドイツの欺瞞2:生きるための嘘

政治家の靖国参拝をめぐって中国や韓国から批判されるのは、極東国際軍事裁判(東京裁判)におけるA級戦犯が合祀されているためである。

戦勝国が敗戦国の指導者や軍人を裁判に掛けたのは、東京裁判に先立って行われた、同じく敗戦国ドイツでのニュルンベルク裁判が、人類史上前代未聞の出来事と言って良いのだろう。それまで、敗戦国は、賠償金を支払わされたり、何よりも「戦争に負けた」事実と悲しみや屈辱だけでも、十分に打ちひしがれていたのだから。しかし、第二次世界大戦の惨禍は、「それだけでは済まされない」という衝撃を戦勝国指導者たちに与えたのだろう。

さて、東京裁判でも踏襲された戦争犯罪人(戦犯)の罪状は3つに分類された。
A 平和に対する罪(侵略戦争の共謀、遂行)
B 通例の戦争犯罪(捕虜虐待、軍事上不必要な民間人の殺害・都市の破壊など)
C 人道に対する罪(政治的、宗教的または人種による迫害行為など)

上記のうち、AとCは、人類史上、ニュルンベルク裁判で初めて導入された。戦勝国側から見て、近隣諸国への侵略戦争を仕掛けたドイツや日本の指導者は、有罪にしないでは済まされなかった。
――これが、そもそも、これら2つの戦争裁判の動機だろう。

Cはといえば、Aを動機として始めれたニュルンベルク裁判の過程で、同じドイツ国民であるユダヤ人に対する計画的絶滅計画=ホロコーストが広く知られることになり、むしろこの裁判で最大のテーマに転換されるに至った。

しかし、Cそのものは、実は戦争犯罪ではない。ほんの数年で終わった第二次大戦などよりはるか以前、少なくとも数百年前、中世ヨーロッパ以来のキリスト教社会の中での反ユダヤ主義に起源がある。だからこそ、ヨーロッパ、さらに新大陸の欧州系諸国民にも、大きな衝撃を与えることになった。

こうして、ドイツ人自身も、近隣諸国民も、本来は戦争犯罪ではないCこそが最大の戦争犯罪だったかのように、錯覚ないし自己欺瞞するようになった。

だから、戦争犯罪といえばAとBである日本人と、逆にC(ホロコースト=ユダヤ人の民族絶滅計画とその遂行)であるドイツ人やヨーロッパ人とでは、戦争犯罪に対する認識と議論がまったくかみ合わないことが多い。

戦後のドイツ人自身は、このCに関するトラウマから逃れるために、実は自らがナチス、ないし少なくともその熱烈な支持者であったことを不問に付すようになった。(ドイツ軍の戦況が破竹の勢いだった頃、ヒトラー政権への支持率は優に90%を超えていた)

高い名声と尊敬を得た1985年当時の西ドイツ大統領ヴァイツゼッカーの演説では、1945年5月8日の敗戦がナチスからの「解放の日」と呼ばれ、時を経て、より多くの一般国民もそう考えるようになった。――ユダヤ人や第三者から見れば、これはとんでもない欺瞞であり、歴史の歪曲である。

これに対し、ヴァイツゼッカーの後を継いだばかりの1994年8月当時の第7代ドイツ大統領ヘルツォークは、初の外国公式訪問の地であるワルシャワで、「ポーランドに苦難をもたらしたのは『ドイツ人』だった」と初めて明言した。「ナチス」という曖昧な言葉を避け、ユダヤ人の迫害や大虐殺だけでなく、侵略戦争や戦場での戦争犯罪を含む「すべての罪」について言及し、しかも許しを求めた。
――残念ながら、僕は、ヘルツォーク大統領のことをこの本で初めて知った。欺瞞者アデナウアーやヴァイツゼッカーのことは知っていたのに。

ドイツ語には「レーベンスリューゲ=生命の嘘」という言葉があり、「人が生きていけるために、生き続けるために、自分に嘘をつくこと」を意味するという。戦後のドイツ人にとって、C=ホロコーストという罪と向き合うだけでも重荷であり、Aの侵略戦争やBの通例の戦争犯罪と向きあうことまではできなかった。そのすべてに向き合うことは、普通のドイツ人が耐えられる精神の負荷を大きく超えていた。
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