このところ自分なりに気になっていたテーマ。
政治学者の山口二郎が、
「終戦直後に丸山真男が一連の論文を書いたから、日本の戦後は始まったのだ。単に時間が経っただけでは、日本に戦後は訪れなかった」
とまで、これ以上はないほど賞賛した丸山真男。
これに対し、かつて吉本は「丸山真男論」の冒頭で、戦後民主主義の代表的知識人だった丸山を、
「ここには思想家というには、あまりにやせこけた、筋ばかりの人間の像がたっている。(中略)かれは思想家でもなければ、政治思想史の学者でもない。この奇異な存在は、いったい何ものなのか?」
という、しばしば引用される、口を極めての罵倒の言葉で評している。
絞り込めば僕の興味は、吉本が丸山を「思想家ではない」と断定した根拠にある。
今回読んだのは、現時点で丸山の『超国家主義の論理と心理 他八篇』と『政治の世界 他十篇』(共に岩波文庫、ただし後者はまだ冒頭から100頁超まで)と、吉本の『柳田国男論・丸山真男論』(ちくま学芸文庫)のうち丸山論。
僕がかつて吉本の丸山論と丸山の幾つかの本を読んだのは20歳前後のはるか昔、吉本にイカレテいた頃。その後、吉本からも離れていた。
今回あらためて読んだ吉本の丸山論から、キーワードを抜き出せば「大衆」と「土着性」である。丸山の天皇制分析を評価する一方、吉本によれば、丸山には、その著作には、「大衆」ないしそのイメージが欠落している。引用すると、
「しかし、大衆は『それ自体』(『』内は原文では傍点)として生きている。天皇制によってでもなく、理念によってでもなく、それ自体として生きている。それから出発しない大衆のイメージは、すべて仮構のイメージとなる。」
吉本によれば、丸山の著作は「大衆の日本的な存在様式」を捉えることがない。これを僕なりに補えば、そもそも丸山の発想は、支配ヒエラルキーによって構築された結果を所与として受け止めたところから生まれている、ということではないか?
ところで吉本は、思想家は大衆を、社会の下層の人々の問題を捉えていなければならないと、最晩年になっても考えていた。晩年の対談でも、柄谷行人の著作を評価する一方、そこには「社会の中流以下の人々」の問題が視野にないと批判していた。
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