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2015年08月19日00:25

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日本書紀、古事記と中国・朝鮮

やはり返却前の神野志隆光『「日本」とは何か 国号の意味と歴史』(講談社現代新書、2005)。読んだのは前のほうだけで、今の僕は真剣に古代史を追求する態勢にない。

ただ印象的な箇所はあった。幾つか引用、抜粋すると――。

・『日本書紀』のつくる歴史は、中国にも受け入れられてある「日本」を朝鮮に対する大国的関係にあるものとして確認し、国際的に認知された大国「日本」を成り立たせる。(中略)大宝令の「日本」がこうした内実を得たことによって、「日本」がまさしく成立したというべきなのである。むろん、現実に、中国王朝が、「日本」の朝鮮に対する国際的地位を承認したということではない。

・『古事記』には、中国があらわれることがない。(中略)『日本書紀』にあっては、百済・新羅・高麗の諸国(三韓)を神功皇后が服属させたと語るが、『古事記』には高麗があらわれない。とくに中国があらわれないということは、決定的な違いだと考えられる。

・『古事記』における新羅・百済は、(中略)大八島国の延長上にそのまま包摂され、天皇の「天下」の一部となるものなのである。

――『古事記』応神天皇条の最後で新羅の国王の子、天日矛(あめのひぼこ)の渡来が語られ、その5代後の子孫として神功皇后の母があらわれる。新羅からの渡来人が神功皇后の祖先である。つまり、『古事記』にとって新羅は外部ではない!

同時代、共に8世紀初めに書かれた『古事記』と『日本書紀』の世界観の大きな落差は、注目と追究に値するように思われる。
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