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2015年08月17日00:11

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模擬「特攻裁判」

「模擬特攻裁判」
――これは返却前の保阪正康『「特攻」と日本人』(講談社現代新書、2005)にあった、最も印象的な言葉。読みながら傍線を引きたくなったが、図書館の本なので途中から付箋を印象的な箇所に貼り始めた。「模擬特攻裁判」は付箋を貼り始める前にあった、見出しにもなっていなかった言葉なので、読了後に探して見つけた。

1939年生まれの保阪氏は「特攻隊員として逝った青年たちの遺稿にふれると涙がとまらない世代」。ただ数え切れず涙を繰り返すうち、自身も含め多くの日本人が特攻隊員たちに対し、情緒的な反応に終始しすぎることをやめるべきだと考えるようになった。

この現象は毎年、今頃、終戦記念日の季節になると、テレビなどで特攻関連の番組などを見るたびに繰り返される(これは制作側が「そう作っている」ことの別の半面だろう)だけに、重要な提言だと思う。

この本ないし著者のこの提言がどう受け止められたかは承知していないが、「特攻隊員たちは尊い若い命を国に捧げた。戦後の日本、私たちは彼らの犠牲の上に平和と繁栄を享受してきた」というのが、現在まで一貫して戦後日本のマジョリティだと思う。

――保阪氏は、この見方はやめようではないか、やめるべきではないか、もっと冷静に、もはや「歴史」として特攻の問題を考えるべきではないか、と考えるようになった。特攻を美化することで「安らかに眠らせてはいけない」と。引用すると、

「私たちは特攻隊の真情とはかけはなれた地点にたって、なにやら心が洗われるような美談の数々を耳にして、あたかも歴史的な意味をもつかのように錯覚してきたのではなかったか。
 その錯覚から解放されるのは、国家の政治的、軍事的失態を、まだ十代後半から二十代の青年たちに負わせたという歴史的罪業を認識することである。その歴史的清算を試みるべきではないか。」

「ではその歴史的清算とは何か。
 私自身の六十年目に辿りついた結論についてふれるが、それは一言でいえば、なぜこのようなシステムを生みだして学徒兵に『死』を強要したか、の模擬裁判を開き、その責任の所在を明確にしておくということである。」

「どのような戦争であれ、兵士に『十死零生』の命令を下す権利は指揮官にも、軍事指導者にもない。」

「原告はむろん六十年前に逝った特攻隊員たちである。彼らの残した手記や遺書、遺稿、そして日記などをすべて読み抜いたうえで浮かびあがってくる彼らの本心こそが、訴状を構成することになるのだ。」

「戦後の特攻論に欠けていたのは、『裁く』という確固とした信念であった。
 特攻隊員を原告として、そして私たちは自らが被告席に座っていると仮定して、彼らに糾弾されている意味を正確に理解できるだろうか。」

保坂氏は昭和50年ごろ、太平洋戦争開戦時に「米英に対する宣戦の詔書」を練りあげた、当時陸軍省軍務局にいた石井秋穂に直接会い、「この詔書中で戦争目的について書かれているのはどの部分か」聞いたという。石井の答えは「大東亜戦争の目的は、日本の自存自衛体制の確立にあった。それ以外の目的は、なにひとつ意図していないし、ここにも書かれていない」だった。

「特攻作戦は、戦争目的の曖昧さを覆い隠し軍事的優位性を誇示するための犠牲となった作戦であった。(中略)これほど曖昧な戦争を始めた政治・軍事指導者の犠牲だったという事実を押さえておかなければならない。」

保坂氏は、イスラム過激派の自爆テロなどと引き比べて、「特攻をどう思うか」と聞いてくる欧米ジャーナリストの質問自体にトリックがあると考え、「祖国愛に燃えての行為とは見ていない」とさりげなく伝えるにとどめているという。氏によれば、「祖国愛という一般論をもって、特攻隊員の行為を美化した瞬間に、私たちはとんでもない泥沼に入り込んでしまうことになる。」
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