mixiユーザー(id:7131895)

2015年08月14日01:36

329 view

制作、感動、複製、メディア

人は夕日や月や雪景色などの自然を見て感動することがある。

石川啄木みたいに、「雲は天才である」と言ったりもする。人間とは無関係に存在している自然物に、人は勝手に感動してしまう。そして啄木のように、不遜にも、大自然を人間の「制作物」である芸術作品になぞらえて言うなど、逆転した発想をしてしまうことがある。

小林秀雄は「モオツァルト」などで、自身をはじめ近代日本人が、レコードや画集などの「複製物」によってしかヨーロッパの芸術作品に接しられないのに、それでもこんなにも感動しているという「かなしみ」を、痛切に表現していたと思う。

ポール・ヴァレリーは、複製などさまざまな媒介を介して世界中の人々に与え続けている影響を踏まえ、制作物が他者に与える効果の大きさを根拠として、レオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」を史上最も成功した芸術作品の代表例に挙げていた。

ヴァレリーは19世紀末から20世紀前半の人だが、その考察は古びていない。20世紀後半から現在まで、彼の時代には影も形もなかったテレビやインターネットという「電子メディア」が急速に発達、普及したおかげで、制作物の他者への影響力は強まる一方に見える。ただし、制作物ないし表現が氾濫しすぎて適切に選ぶことができず、過剰さに埋没したり麻痺したりしてしまう弊害も同時に存在する。
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する