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2023年01月16日00:16

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『旅芸人のいた風景』

読了した本:
1沖浦和光『旅芸人のいた風景 遍歴・流浪・渡世』(河出文庫、元は2007年8月刊の文春新書)
2『ボクの満洲 漫画家たちの敗戦体験』(第1版第1刷は1995年7月)

興味・関心の広がりに比べて、読む速度はさして早くならないから、読みかけも封を切ってないのも含めて、積ン読は溜まるばかり(昔から変わってないが)。

2冊とも「読んで良かった!」。
1『旅芸人の風景』の著者・沖浦和光(おきうら・かずてる、1927〜2015年)は、堤清二やナベツネらと同期の東大細胞で、第一次全学連の創立メンバーだったと、取材に同行した編集者による文庫解説にある。この編集者が「権力を握っての世直し、ひいては<日本革命>という大きな物語から自由になったとき、著者はおそらく変わったのだろう。無告の民、境界の人、非定住・漂白を余儀なくされた人びとに、さらに傾斜していった」という。その通りだろう。著者は、西武百貨店を引き継いだ堤清二や、読売新聞の政治記者から大ボスになったナベツネとは違った形で、日本の現実にぶつかり、転向して、学者になった。

沖浦氏の著作で前に読んだ『瀬戸内の民俗誌』は、自身のルーツである瀬戸内海に暮らす人々を対象としていた。今回の『旅芸人のいた風景』は、大阪府の北端・箕面(みのお)で過ごした幼年期の記憶に始まる。沖浦家が箕面に住むようになったのは、サラリーマンだった父親が、阪急グループの創始者・小林一三が開発した住宅地の家を買ったためで、この地は京都と中国地方を結ぶ西国街道の要所だった。そのため往来する旅芸人たちを見ていたのだった。沖浦氏の文章は、こうした自身の経験と、一次史料を含む歴史的文献と、当事者への取材インタビューが一体となっている。

著者によると、江戸時代の芸人には三つの階層があり、上層は京・大坂・江戸という都会の舞台に出る者、中層は神社や仏閣の境内で許可を得て演じる者、さらにその下に寺社では許されず街道筋の村の路上で演じる旅芸人がいた。兵庫県には住人の大半が役者という村もあった。昭和恐慌で父親が失職して、沖浦家は箕面の家を出ざるを得ず、大阪ミナミの長屋住まいとなるが、そこは芝居小屋があり芸人も含む下層の人たちの街だった。

江戸時代は芸人は身分制の中で士農工商より下とされたが、明治になってその法制面での差別はなくなるが、急速な近代化の中で芸人を取り巻く環境は厳しいものとなる。古来、大道芸人が売る最大の商品は各種の薬だったが、明治になって西洋医学・科学が導入されると、薬事法などによって、大道芸では薬効や成分などがいかがわしい薬は販売できなくなった(かろうじて戦後まで残ったのが「ガマの膏売り」)。――大道で売られるものを買っていく客は、商品そのものでなく、その「芸」を買っていた。口上の鮮やかさで売るのが「啖呵売」(たんかばい)で、「フーテンの寅」シリーズの渥美清にその片鱗が垣間見られる。だが、高度成長以後は新たな商品が全国にあふれ、今やネット検索して好きなものが買える時代。大道芸を担う人はいない。

『日本の放浪芸』をライフワークにした小沢昭一もそうだが、沖浦和光氏にも「存命中に会いたかったな」と思う。

中国引揚げ漫画家の会編『ボクの満洲』は稿を改めることに。
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