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2021年02月08日00:06

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今西錦司「生物の世界」

中公クラシックス『生物の世界 ほか』のうち、松原正毅氏が今西錦司を「遊行する思索者」として跡付けた論文と、表題の主論文「生物の世界」を読んだ。

今西は、日中戦争と日本を取り巻く国際情勢が深刻さを増しつつある1940年に「生物の世界」を書き、翌年刊行した。自分もいつ戦場に駆り立てられてもおかしくない中で、生きた証を残したい、というのが執筆の動機だと冒頭で明かしている。

読み始めてまず浮かんだのが、「日本にも思想家は生まれる」という感想だった。頓珍漢かもしれない。――今西は生物学者・人類学者だし、もう80年も前のことなのだから。ただこの論文を読みだすや、「思想家の誕生」に立ち会っている感じがしたのだ。それ以前から論文も書き、思索を重ねてきたに違いないが、この文章には「自分の世界観・生物観を世に問いたい」という意気込みがあふれているからだろう。

200ページ近い論文だが、学術書では当たり前の注釈はゼロ。専門用語も含め全て本文で述べられ、文体は緊密で、常に一定の抽象度が保たれて論旨を追うのは疲れるが、ある意味でダーウィン『種の起源』を読んだ時とは対照的な感がある。最初英語の原文で読もうとしたが難しいので、途中から日本語訳に切り替えたが、やはり難しい。その理由は、膨大な博物誌的な事例の列挙が続くことだった。ダーウィンの同時代の読者にとってそれら列挙された事例がどれほど馴染みやすかったのか不明だが、大部分の現代人には付いていくのが困難なのではないか。――こうした『種の起源』の難しさに比べれば、今西の「生物の世界」は、個々の事例の知識はほとんど不要で、思考ないし論理の流れに付いていけばよい。

さて、肝心の今西の生物観や生態学理論を評価できるだけの知識・能力が今の僕にはない。また、ウィキペディアによると、現代の生態学者の多くは今西の「生物の世界」での考えを支持していないとのことである。ただその主要な論点の一つである、「適者生存による自然選択」を種の起源としたダーウィン進化論への批判には一定の説得力があるように思われたし、さまざまな事例や次元での観察・考察を踏まえた上での統一的な体系構築の意志と実行ぶりには目を見張るものがある。
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