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2018年09月13日23:52

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人はなぜ「勝ちたい」のか

アジア太平洋戦争や戦争論やナショナリズムについて本を読んだり、考えたりし、その関連で『差別感情の哲学』という本を読んだりしているうちに、そもそも「人はなぜ勝敗にこだわるのか」「人間にとって勝負とは何か」「人はなぜ他者より優位に立ちたいのか」「そもそも『勝つ』とは」といった根本的な疑問が湧いてきた。いや、人類学的に勝ち負けのない部族は見つかっているのか。いったい全ての人類社会に勝ち負けはあるのだろうか。

手元の電子辞書で「勝つ」を引いても何の役にも立たない。これは「高い、長い、強い・・」といった基礎的語彙と同様だろう。

それにしても改めて、なぜ人の世には「勝ち負け」があるのか。
古代ギリシャの本家本元のオリンピックでは、紀元前からローマ時代にかけて実に1000年間にわたって4年ごとにオリンピアで各種競技会が開催され、地中海沿岸や西アジアなどからの競技者らが競い合った。現代のような正確な時計や計測機器はないから、タイムなどの記録は計られないが、選手間の「勝敗」が争われたという。

ともあれ、改めて勉強せずとも言えそうなのが、「生物としてのサバイバルや自己の子孫を残そうとする本能」に由来ないし関連している、言い換えれば、「個体の自己保存と種の保存の本能」に拠っているという仮説だ。人間が勝ちたいと思うのは、「適者生存」「弱肉強食」の動物界の法則に拠っている──と言ってよいのかどうか。

ある種の動物の雄たちは、自分の子どもを産ませ、子孫を残すために、他の雄たちと闘う。それどころか、野生のツキノワグマの雄は、交尾期に遭遇した雌グマが子持ちの場合は「まず幼い子グマを殺してから」交尾する。雌グマは授乳している間は妊娠しない、したがって自分の遺伝子が受精しないことを、雄グマは「本能的に知っている」のだ。あるいは暴君的な雄グマの遺伝子・子孫が残るように、熊の成獣たちの肉体と行動がプログラムされているのだという。──ただツキノワグマの行動は一例に過ぎない。

また野生のライオンの場合、雌のパートナーと家族を持ち子孫を残せるのは、「雌に選ばれた雄一頭」だけというのが基本だったと思う。他のもてない雄たちは、はぐれて単独で行動している。選ばれる雄は、体や頭が大きかったり、たてがみの色が濃かったり、見かけが大きく立派で喧嘩も強い。…

さて人間が勝ちたいと思うのは、勝つことにより得られるさまざまな利得を除いても、相手より優位に立つ快感や喜びという「生理・心理的な理由」が挙げられる。…

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