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2018年02月27日01:51

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竹下登の「簒奪」

このところ日々のニュースや、読書欄なども含め読んでいる新聞記事でも特に反応したいものがなかった中で気になったのが、しばらく前だが朝日2月18日の曽我豪「日曜に想う『経世会とは何だったのか』」という政治随想ともいうべき記事だった。曽我氏は政治記者出身の編集委員らしい。

冒頭近くに「田中角栄から竹下登が簒奪したこの派閥」は、竹下内閣の後、宇野、海部、宮沢と3代の他派の首相を作り出したとある。この「 」内の『簒奪(さんだつ)』という言葉。辞書的には「王位を奪うこと」らしい。昔から知っていても、自分や身の回りのことについて使うことはないが、脳梗塞で病床にあった田中角栄の派閥を竹下登が丸ごと「盗んだ」ことほど、現代日本で「簒奪」と呼ぶにふさわしい実例はないのではないか。

病床にある親分の最大の政治的資産を、(当然ながら)親分の了承なく(秘密裏に周到万全な準備を重ねた上で)一夜にして奪ったことは人の道、倫理にはもとるが、法律で禁じられているわけではない。(田中派から竹下派に鞍替えした議員たちも、内心では忸怩たる思いがあったとしても、病床にあって政治的生命が消えかかっているかつての闇将軍より、これからを担うリーダーに付いたのはやむを得ない現実的処世だったろう)。

田中派、竹下派に共通する政治権力掌握の手法は、「選挙対策」と「国会対策」の両方を一手に握ることだという。これによって竹下以後、宮沢までの総理が生まれたが、政治改革政局で選挙対策のプロ・小沢一郎は派閥も自民党も離脱して選挙勝利後、「細川内閣」を創った。しかし、敗れた国会対策のプロ・梶山静六は「自社さ連立政権」でやり返した。

その後、小泉政権や安倍政権で自民党も変わった…。

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